ちえりちゃんのラビリンス

浪人失敗世間知らずマンの書き殴り

噂の『あのこは貴族』鑑賞してきました。

ずっっっっっっと観たかった『あのこは貴族』

放映終了1日前に滑り込みで観に行ってきました!

あぶな!ギリギリ!

(とかいって人気だからまだまだ放映されそう)

ちょうど配信も始まったらしいので、お時間あれば皆さんもぜひ。

 

この映画が始まったばかりの頃から評判があまりに良かったので、ずっと気になっていたんですが忙しくてなかなか行けず・・・

やっと忙しさが少し落ち着いたので、ササっと行ってきました。

 

ネタバレなど含め自由に感想を書いておこうと思います。

 

(これは追記なのですが、書いてるうちに1万字をこえてしまったのでまあまあボリュームあります!それでも読んでくださる方いればぜひ)

 

 

 

今回は初めてヒューマントラストシネマへ繰り出してきました。

ttcg.jp

 

有楽町駅降りてすぐのイトシアプラザ4階です。

とはいえ、あの辺りの駅ってやたらごちゃごちゃしてるから、有楽町駅にこだわらなくても銀座とかから10分以内で行けるはず。いかんせん田舎者なので東京の駅がよくわからんが。

 

同じ映画館では、他にも大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』なんかを放映していて、結構混んでました。あんまり人が多いとコロナが怖いな…と思ってたんだけど、実際は1席分あきぐらいで座れたのでそんなに怖さはなかったよ。

(去年の年末に早稲田松竹でやってた小津フェアみたいなんは激混み満席だったのでビビってたけど、今回は大丈夫だった)

 

 

 

さて、『あのこは貴族』の感想・・・

 

最近ずっとアマプラで映画を観ていたものだから、映画を観ながらメモを取るのが癖になっていたのだけど、今日はもちろんメモれず・・・かなり忘れてる部分とかあるかもしれませんが悪しからず。

 

一応全体的なストーリーとしては、

東京に住む裕福なお家の娘さんと、東京に出てきた貧しい田舎娘の2人が、ある男の人をきっかけに出会い、普通に生きていれば交わらなかったはずの階層の2人の間に関係が生まれて、互いに影響を与え合う感じのお話です。東京の上と下の階層がひょんなことから交わっちゃうお話。

 

 

 

こちらのサイトにストーリーが載ってたので、もしどうしても気になる方はぜひ!

 

cinemarche.net

 

 

全体的な映画の感想は2つ。

 

1つは、あまりにリアルな描写に、全身が縮み上がっちゃったってこと。とにかくリアルすぎる。今すぐひとことで感想お願いします!って言われたら、階層の違う2人の世界の描き方があまりにリアルでグロい!!!って言うと思う。グロいよ。それぐらい、細かいところまで徹底して作られたリアルさが怖かった。気づいたら二の腕の肉に爪が食い込むぐらい集中して観てた。

まあ、自分は貴族じゃないので実際の貴族がどうかは詳しくわからないし、本当の貴族が見たら「全然違うよ!」と思うこともあるのかもしれないけど、自分が20年ちょい生きてきた中で感じられる「貴族」要素的なものはふんだんに盛り込まれてた。

あと、もちろん田舎から上京してきた女の子の方の描写もガチでガチのリアルを感じてしまった。あとで詳しく書く。

 

同じ東京に暮らす二人だけど、実は全然違う階層に生きていて、基本的に階層を越えた交流って起こらないよね~っていう描写がリアルでした。リアルリアル言い過ぎ。

 

 

2つめはね、映画がテーマとするものが良かったな~っていう。鑑賞前はなんとなく、田舎もんの生きづらさだけを描いた作品なのかな?と思っていたのだけど、実はそれだけじゃなく貴族としての生きづらさ、その中でも貴族の女性としての生きづらさや、貴族の男性としての生きづらさ、あとは貴賤に関係なく女性としての生きづらさまでしっかり描かれてたのが印象的だったな。

 

 

 

 

ストーリーの最初の方から順に感想でも言っていくね。

 

 

まず映画の1章は、貴族の女の子だけに焦点があてられるのだけど、

その貴族の子が私の思っていた以上に貴族で(あらすじ聞いてる段階では、もっと東京にありがちな家庭というか、世帯年収MAXで3,000万ぐらいか~?ってなんとなく思ってたけど、そんなんではなくもっとガチガチのお嬢さんだった)さすがに一般家庭で育った私には想像も及ばない世界だった。彼女は、代々お医者さんのおうちの娘さんで、あの松濤にお家があって、移動は当たり前にタクシーで、いつもなんか素敵なご飯食べてて、着てる服も全部明らかに高いやつで…(わかるかなあ、天皇家が着てるようなタイプのお召し物…)

きっと多くの人にとってイメージの湧かない世界を扱ってるからなのか、かなりしっかりめに貴族のシーン流れるな~ちょっとくどいな~と思った。

 

個人的にウッ!これはキツい!って思ってしまったポイントは、貴族の子が、いわゆる「家=イエ」に縛られた人生を送ってますよっていう描写かな。「イエ」という存在それ自体がめちゃめちゃ重視されてて、お正月は当たり前にみんなで会食(@帝国ホテル)だし、後継ぎやらなんやらの話をすぐするし、婚約者の家柄にはうるさいし……

でも、その貴族の子は「イエ」重視の価値観の中でずっと育ってきてるわけで、同じ階層に属するお友達ももちろん似たような話ばかりするから、イエのために生きるっていう価値観に疑問を抱くタイミングがないよねっていう。だから、貴族の子自身は「イエ」に縛られているという感覚がないまま生きていて…それが見ていて苦しかったです。

(結局、最終的には田舎の子と触れ合うことで貴族の子の中に新たな価値観が取り込まれていくのですが)

 

ほんで、家の人たちに結婚をせかされるので、貴族の子は焦ってお見合いしたり、身近な人の紹介で男性に会ったり、結婚のためにいろいろ挑戦してみるんだけどことごとく失敗。そんな中で出会った弁護士の幸一郎さんは、顔が良いし家柄も自分のところよりも良いしで、すぐにお互い惹かれあって婚約(プロポーズめっちゃかっこよかった)

 

ただ、婚約後に幸一郎さんとLINEで親しげな女性がいることが発覚するっていう…(おそらくここで1章が終わりだった)

これが、後々出てくる田舎出身の子なんだよね。

 

 

 

2章では田舎の子の人生がメインで語られてる。これがつらすぎた。ここの記憶ばっかり残ってしまってる。

田舎の子は、勉強を必死に頑張って慶應義塾大学に受かったので富山から東京に出てきたのだけど、途中で親が学費を払いきれなくなってしまい退学の危機に。仕方がないのでキャバクラなどを始めて学費を捻出しようとするけど、結局中退することになってしまう。その後、東京で水商売を続ける中で、幸一郎(さっき出てきた、貴族の子の婚約者ね!)と出会って肉体関係を持つほど仲良く?なり、その後水商売以外の仕事ができるように。(この辺まで結構一気に駆け抜けた気がした)

 

これは余談も余談だけど、一応私自身が慶應義塾大学の学生なので、大学の描写がいちいち気になってしまった。田舎の子が「ぎんたま(酔っぱらった慶應生がよじ登る銀の玉のオブジェですね)」とか「ひようら(日吉の裏の商店街)」の話をして盛り上がっていたのでウフフとなったが、映像がどう見ても日吉キャンパスじゃなかったのでどこやねんとなった。あと内部生が悪そうなやつ!って感じで描かれてる気がして、なんで!?!?となった、あれは慶應NY帰りの座り方(偏見)。自分が接点を持ってる慶應内部生はもっと良いやつが多いというか、この作品の貴族の子にも当てはまるんだけど、金持ち特有の「捻くれてなくて良い性格」感が強いんだよね。知らんけど。私がまだ感じ悪い内部生に会ったことないだけっていう可能性はある。というか、うちにも慶應内部生の弟がいるのだけど、外部生が激しく持ち上げるようないわゆる”内部生”とは全然違うので、そういう外部生特有の「内部生への偏見」まで含めて、あ~田舎から来てるっぽいな~リアル~となった。

 

あと、かなり最初の方の、田舎の子が大学の友達とアフタヌーンティーに行くシーンで心がガリっと削られた気がしたね。田舎から希望を胸に飛び出してきたけど、東京で生まれ育った子たちが高いホテルの飯を平然と食って紅茶の話なんかで盛り上がってるのを見て、貴族と自分って同じ東京にいるのに全然違うんだ・・・って自覚するあのシーン。残酷すぎるでしょ……

(実は最近だとホテル側が若い女性をターゲットにアフタヌーンティーの顧客獲得に奔走してるので、映画で言われているほど「貴族の遊び場」感はないのだけど……というかそれに関していえば、最近のアフタヌーンティーによくいる、地雷服着たちょっと浮いてる若者のほうが、東京の”リアル”って感じだよなと思ってしまうけど、それに言及するとモラル的にダメなこと言っちゃいそうだからやめとく)

や~。これはホントにグロッ!と思ってしまったシーン。アフタヌーンティーってだいたいホテルの上の方の、とりわけ景色が良い階でやってることが多いんだけど…またこの、高さ(値段じゃなくてheight)の利用がお見事だった。金持ちは高いところが好きじゃん。高いところは金持ちのもんじゃん。そういう、高さがある場所で値段が高いものを平然と食べてる貴族と私って違うじゃん、なんか場違いじゃんって気づいてしまう田舎の子……うう。画面作りがとにかく見事でした。

 

 

個人的にアフタヌーンティーも紅茶も大好きだし、自分が所属してる紅茶サークルの仲間とアフタヌーンティーに行くこともよくあるので、ここのシーンで描かれた「貴族」側に分類されてしまうのだけど、その立場から言えば(?)全然金持ちぶってる趣味とかではないというか、昔から家で紅茶をよく飲むので、どのお茶が好きとかそういう会話はホントに嫌味とか知識自慢ではないし、美味しい食べ物が好きだからアフタヌーンティーに行くんだよね。映画内にでてくる大学の貴族のお友達も、きっとそういうつもりで言ってるんじゃないよ…って、私がかばってあげたくなっちゃった。でも確かにうちのサークルは「ぽい」人ばっかりだから映画内での描かれ方にも納得できるし、そう受け取られることもあるよなとか、なんかいろいろ考えた。すみ分けでしか防ぐことができない何か。うーん。

(話脱線しまくりだけど、このブログの1つ前に書いた美容院での悩みでも、このような価値観のズレに起因する会話の難しさについて言及した気がする)

美容師との会話って受け身でいいんかな - ちえりちゃんのラビリンス

 

 

てか「田舎の子が東京に出てきて格差に気づくシーン」にやたら言及してしまったけど、

うっわ!田舎!と思う描写がすごかったのは、その田舎の子が帰省したときのシーンかもしれない。めちゃめちゃ記憶に残ってる!

 

田舎の子の帰省は、東京の貴族の「イエ」と田舎の子の「イエ」を対比させるために絶対必要なシーンなんだけど…とにかく田舎描写がリアルすぎて…

 

まず、駅に姉を迎えに来る弟なんだけど、車のフロントのところに謎のモフモフを乗せた、割とイカつい見た目の車でお出迎え。いわゆるヤン車ってやつ……

いきなり、お!(笑)ってなっちゃった。しかも、そのいかつい車を見た姉が「また車変えたの?」「お母さんにお金返したの?」的なことを弟に聞くんだよね~。や、もう、今から本当に失礼なことを書くんですけど、貧しければ貧しいほど、お金を計画的に使えないようなところがあるじゃないですか。これはなんとなくの話ではなく、なにかそういう研究があったと思うのだけど・・・とにかく、そういう、誤解を恐れずに言えば「後先考えない大胆なお金の使い方」は田舎っぽいなと思ってしまった。うちの父方の家がまさにそんな感じだったので。

まあしかし、それは置いといて、シャッター街を車で通りすぎていくシーンも悲しかった……商店街衰退しとる…

その後二人で実家に向かってる途中、急に弟が「アピタ寄るか?」みたいなこと言うんだけど、奈良県で散々アピタにお世話になってたので、個人的にアピタが懐かしすぎて死んだ。東京にアピタあんのかな??こっち来てから見たことないかも。

さらに弟が、アピタで自分のセフレが働いてるとかそういう話をしてくるシーンで、なんとなく性に奔放?あけすけな感じ?にまた田舎っぽさみたいなものを感じてしまった。貧困と性は結びつきやすいというか。ああまたバイアスのかかった感想を・・・多方面にごめんなさい。実は私が知らないだけで、家族間で下品な話って普通にあるもんなんですかね…?これはもしかして田舎うんぬんではない?  わからんけど。とにかく、映画の中の貴族のおうちではそういう下世話な会話は絶対ないだろうなと思った。

さらに姉と弟がおうちについてからも、わ~!!田舎だ~!!って描写のオンパレードだった(さっきから田舎をバカにしているわけではなくて、祖父母の家の雰囲気とあまりにそっくりで、なんだか懐かしいな~と思っているだけなので、田舎っぽいを連呼してるの許して!!!不快になったらごめんなさい!!!)。砂のガリガリの壁とか、ご飯を低い机?で食べる感じとか、大皿をみんなでつつく感じも、貴族のお家と全然違う。こんなこというのもだけど、田舎家族の食事シーンが本当に汚くて、ウオ~!!!ってなっちゃった。私、お箸をお皿とかテーブルでトンっとそろえる動作だったり、食べ物に箸を刺す動作が本当に苦手なんだけど、それが何度も登場したので苦しかった。あと、お父さんがパチ屋に入り浸ってる話もマジで田舎っぽかったな。なんで田舎ってあんなパチンコ多いんだろね。それに加えて、家族全員高校ジャージみたいなズボンを履いたり、ユニクロのもこもこの上着(あれマジで皆着てるよね)を着たりしてるのも奈良を思い出しちゃった。ちなみに何を隠そう、東京の家に住む私も、高校のヨネックスのジャージとユニクロのもこもこ上着で普段過ごしています。

 

田舎描写について語りすぎ!

でもそのぐらい、田舎家族の様子が強烈に印象に残ってるんだよね~。

 

 

とにかくね、1章と2章でそれぞれがどんな人生を送ってきた人なのかが丁寧に丁寧に描かれてた。あまりにリアルすぎてグロいと思ってしまうほどだったけど・・・ここまで徹底した表現がされてるからこそ、しっかり映画にのめりこめた感じがするなあ。

 

 

 

そのあとの3章から、自分の中で時系列が怪しいんだけど、

 

例の幸一郎さん(貴族ちゃんの婚約者であり、田舎の子のオトモダチでもある男)絡みでいろいろあって、結婚する前に、貴族の子と田舎の子がホテルの上の方で会うことになるんだよね。「別に対決させようってわけではないのよ」ってやつね。

 

私はあのシーンが正直よくわからなくて。その貴族の子と田舎の子を引き合わせた友達の言い分がちゃんと理解できなかった。なんで会わせたりすんの?と思ってしまった。過激派なんだ。あ~!!柔軟性がなくてダメだ~!!!

たぶん、その友達さんが言いたかったのは、伝統的な「イエ」の中にいる女性って男性の女性関係(ややこしいね)で揉めるたびに、女性同士で対立してしまうものだけど、実は女性が男性に縋らずとも生きていけるような状態であるならば、クズ男に変にこだわらずに、自主的に男を捨ててしまえばいいだけの話で、女同士で怒りをぶつけあう必要ってないでしょう?的な。自立した女性同士の間に争いって起こらないよね、前時代的な価値観に縛られる必要はないよみたいな、そんなことを言ってたんではないか?と思うんだけど……いやあってるかわからん。間違ってたら教えて。私の読解能力ではあの重要そうなシーンを理解できんかった。

私としては、女性の自立が女性同士の争いをなくすことに繋がるとは思えなくて、なんで結婚前にわざわざ婚約者と浮気相手を引き合わそうとするかね…クラッシャーすぎ…と思ってしまった。

でもまあ一応そういうことで、貴族の子と田舎の子の話し合いは争いなく、穏やかに終了する。新しい価値観で、昔からそうあるべきとされてきた女性像を破壊していこうという、前向きで柔らかい雰囲気は素敵だったね。

ただ、そこで田舎の子が話すささいなエピソード(田舎ムーブ)に対して悪気なく「ありえない!」って口に出しちゃう貴族の子がいたり・・・逆に貴族の子が当たり前のように話すことに対して「何それ…」ってなっちゃう田舎の子がいたり・・・苦しいね。生きてきた世界が違う者同士交流することで、互いの世界に固有の違いが浮き彫りになっていくっていう・・・ちょっと心がザリッとなる感じ。貴族側の、下の階層への無関心が個人的にはやっぱりしんどいし、逆に田舎の子が階層の違いに気づいてもどうすることもできない感じもしんどい。これって誰かのせいとかではないしね。強いて言うなら資本主義のせい…??

 

普段から大学の英語のディスカッションとかでもよく「近年の日本の階級間格差の拡大と階級所属の固定化」だったり、「貧困の再生産」だったりというテーマを扱うのだけど、この映画を通してそれらの問題が自分の中でよりリアルになったというか・・・なんとなく知ってはいたけど現実味がなかった事実が、急に具体的になってしまった感があった。自分の住んでる東京という街で、こんなにも身近にこの問題があるんだよなあと感じちゃった。

 

 

話は戻るけど、田舎の女の子と幸一郎さんの別れも個人的には結構寂しかったな。田舎の子が、長年の友達でもある幸一郎さんに餞別を渡してお別れするシーンが悲しすぎたんよね。だって、田舎の子は昔から東京にいるわけじゃないから交友関係もそんなに広くなくて、大学中退までしてるんだから本当に閉じたコミュニティにいるわけじゃん。そんな中で、いびつな形とはいえ唯一長く付き合いがあったのが幸一郎なわけで……

ただ、お互いに好意を抱いていたとしても、階級格差がある相手だから絶対に結婚できないよね。現代では一応、階級ってありませんよということになってるけど、身分違いの恋はまだ成立する時代なんだよな~…というのを感じてしまった。すごいね、今どきの「身分違いの恋」的なストーリーって、昔よりグロいんだわ。タイタニックみたいにあなたは1等!君は3等!ってガッツリ身分が分かれてるわけじゃなくて、表面的には存在しないことになってる身分に言及しなくてはならないんだわ……グロすぎる……

士農工商的な(これは現在では誤用と言われているけど残念ながら語彙がないので使わせてください)明確な階級格差が民主主義の下で消えたテイになってるけど、人の心ってそんなに簡単に変わるわけがなくて……むしろ明確に「階級差がある社会です!」と設定されていないからこそ、金持ち側の暴走が激しくなって、ノブレス・オブリージュ的精神も忘れ去られて、どんどん苦しむ人が増えてしまっているわけで。うーん、つらい。大学に入ってから自分がずっと考えてる問題を、映画でモロに浴びてしまった。まあ、そこの問題への切り込み方が気になっていたから自主的に映画を観に行ったわけだけど!

 

さて話が若干映画から逸れてしまいましたが、

兎にも角にも階級格差みたいなものがつらいですわよという話!

 

 

 

そして、映画内では田舎の子だけでなく貴族の子の生きづらさについてもしっかり描写されていくんだけど…

 

そういうテーマの描き方が上手だよね~。

 

金持ち↔貧者の比較で、貧困つらいよっていう問題だけじゃなくて、金持ちの娘も、貧しい娘も、どちらも似たような苦しさを抱えてるんだよっていう話に持っていってくれるのがさすがすぎる。特に今回は2人とも女の子だから、女性としての生きづらさが描かれてて苦しい気持ちになったな。貴族の子がイエに縛られてるのもそうだけど、田舎の子も実はイエという檻に苦しんでる。直接言及されてはいないけど、女なんて勉強しなくてもいい、女は家で料理でも作っとけみたいな考えがイエにはあったと思うし、そういうイエから逃れるために、その田舎の子は、大学中退した後も東京で生きていくことを選んだんだよね。田舎の子は、自分の力でイエを捨てて、自由に生きる道を得た。

 

そういう田舎の子の自由さとは反対に、貴族の娘がイエに縛られる描写がどんどん増えていく。

 

貴族の子が婚約者のお相手の家にあいさつに伺ったら、相手方から自分の価値を値踏みされるし、興信所をつかって身辺調査をされるしで、貴族の子は相手方の「育ち」への異様なこだわりに違和感を感じてしまうんよね。婚約者のイエは代々政治家を輩出してるようなすごいお家だから、家柄やらなんやら、イエに都合の悪い婚約者を排除するって方針らしい。そして結婚してからも、イエの人たちから早く後継ぎとなる子供をつくるように急かされ、不妊治療などにも通わされる。そのうち旦那の幸一郎さんともなかなかうまくいかなくなっていって……

貴族の子だって一人の人間なのに、イエという枠組みの中でただの駒扱いされてしまってるのがつらいよね。某の「女性は子供を産む機械」発言が思い出されます。貴族の子がちょっと働きに出たいって言ったって、「周囲に対して体面が保てないからダメ!」と止められてしまうし、早く子供産め!という話ばかりされるし。イエに縛られて自由に生きられない貴族のお嬢さん……でも、その環境を不自由だと感じつつも、女はそういうものだという諦めみたいなものも彼女自身の中にあったと思う。

 

そんななかで、たまたま田舎の子と再会して、自分の人生を自由に選択しながら楽しそうに生きている田舎の子を見て、ついにパラダイムシフトが起こるという……!

 

貴族の子が不妊治療の帰り道に、田舎の子のお家に行かせてもらうという重要なシーンがあるんだけど、たぶん貴族の子は見たこともないような小さなアパート?の一室で、田舎の子の人生がつまったお部屋のなかを見せてもらうのよね。貴族の子は、自分の家とは全然違うけど好ましい場所だ~みたいな感想(正確になんて言ってたかは忘れちゃった)を抱く。それで、田舎の子の家のベランダから2人で東京タワーを見つめながら「ずっと東京に住んでたのに、こんな景色があったなんて知らなかった」ってこぼすシーンがあって……これがホントに刺さったなあ。

 

これは勝手な解釈かもしれないので流してもらっても大丈夫なんですけど、今まで背の高い人工物が出てきても貴族さんがそれを見上げるようなタイミングってあまりなかったと思うんですよね。どちらかといえば、高さのある人工物の一部みたいな感じ。貴族さんが高層階にあるホテルのアフタヌーンティーに行って、やたら下界を画面に映すような感じが多かった。でも、このシーンで初めて、貴族のお嬢さんが低いところから東京タワーを見上げたよっていうのがやっぱり印象的だった。その東京タワーだって全部が見えてたわけじゃなくて、アパートから見てるわけだから、いろんな障害物で隠れ気味な東京タワーなの。それでもその『東京タワー』という東京のシンボルを見ながら、普通に暮らしていれば交わることのなかった、東京内にいる異なる階層の人間と触れ合って、貴族さんは東京に存在する別の世界に目を向けられるようになって………貴族さんのセリフにある「こんな景色があったなんて」で言及してる「景色」って、単純に東京タワーのことだけではなくて、きっと貴族のお家で生まれ育ったことによって見えていなかった新しい景色=イエに縛られない女性としての生き方、みたいなものも含まれてるんじゃないかなあと感じました。

 

この2人の関係を友情とは言い難いんだけど、それでも何か言葉にできない重要な関係で、貴族の子にとってこれが大きなターニングポイントになるっていうのが良かったな。いつもタクシーを乗り回していたあの貴族の子が、この日の帰り道だけ徒歩だったのも本当に印象的だった!これからは自分の足で歩いていくっていう意味なのかなあ。

 

その後、貴族の子はイエのしがらみから逃れるべく離婚の道を選んで、自分らしく生きる道を歩み出すんだよね……田舎の子と出会えたおかげだね。最後の方で、貴族のお嬢さんが、自分でバリバリ車を運転してるのを見て感動してしまった。楽しそうに仕事してるし、自由になれてよかったね。

田舎の子も田舎の子で、お友達と起業することになって。今の階層からステップアップしていくのかも?というか、どうしようもなさそうに見えた階層の壁を自分の力で突破していくのかも?っていう期待感のある終わりかたで良かった。救いのないラストよりも、ちょっとは希望あるほうが個人的に好きです。

 

 

それと比べて、もう1人の貴族のほう、幸一郎さんは本当に救いがないですよね。長男として、生まれながらにイエを背負う生き方を押し付けられて、イエのためだけに生きる人生。バツイチになっちゃって世間体も良くないし。

特に離婚前の2人の会話がつらかったな。確かに幸一郎さんはお金に悩むことはない人生だったかもしれないけれど、圧倒的に自由のない人生を強いられてきたのを感じた。貴族の娘さんは、結局最終的には自由を手に入れることができたけど、長男の幸一郎さんは、長男故この先どう足掻いてもイエから逃れることができないし、イエのために生きることしか許されてない……本人も小さい頃からそんなことはわかっているから、変に反抗したりはせず、諦めて受け入れてる。貴族の娘さんが夢について語る時も、夢について否定的で悲しかったな。嗚呼悲しき傀儡人生。

 

そんな自由のない人生だったからこそ、幸一郎さんも、自立した自由な田舎の子に好感を持ったんでしょうね。もしかしたら、本当は田舎の子と結婚したかったのかもしれないけど、そうもいかないし中途半端な関係にね…

田舎の子が自分の前で爪を切ってるところをみて「女の人が爪切ってるの初めて見た」ってボソッと口にしてるシーンがとても記憶に残ってる。ホントに細かいところまで表現が徹底しててすごいよね。貴族って隠れて爪切らなきゃいけないんだ…(?)

 

 

 

 

なんだかまだまだ書けてないようなことがたくさんある気がするけれど、いったんこのくらいで・・・!

とても面白い、いや面白いっていうのは適切じゃないかもしれないけど、ああ良い映画だなと感じられる映画でした。みなさんもぜひ見に行ってみてください。

 

 

これを出す前に一応…と思っていろんな人の感想を覗いていたんだけど、人によって貴族っぽいと思う物事の水準がそこそこ違うっぽくて、それについても、あ…………ってなっちゃった。このブログもバイアスバリバリで申し訳ない。苦情はぜひコメント欄へ。

 

ってことで、終わり!ごきげんよう