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小津安二郎『東京物語』における孤独の表現について

タイトルにある通りなんですが、東京物語』における孤独の表現について、自分なりに考えたことをまとめました。

まとめましたというか、「映画内で描かれる孤独についてレポート書け!」って学校から言われたので、私の好きな東京物語を選んで、結構やっつけで書いてしまったんですが…

ちょうど1/6に、池袋のほうで『東京物語』を観てきたばかりなので、せっかくだからブログにベタッと載せちゃう!!

一応、何度か読み直して加筆修正して、ブログに載せられるぐらいの文章にしたつもりなんですが…!!もし間違ってるところなどあればじゃんじゃか教えてください!!

 

ちなみに、見る人には不親切だけどあらすじはカットしちゃいました✂️

ストーリーがわからんよという人は自分で検索するなどしてー!!

 

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小津安二郎東京物語』における孤独の表現について

 

家族が緩やかに解体していくストーリーの中で、特に意識されるのは、①老年夫婦の孤立 や、②未亡人紀子の孤独③父・周吉の孤独である。本レポートでは、この三様の孤独について論じる。

 

まずは①老年夫婦の孤立について考察する。

すでに60歳を超えた老夫婦の周吉・とみの孤立は、子供たちとの関係、また熱海での気まずさのなかから浮かび上がってくる。

 

まず映画前半で、老夫婦が子供たちとの再会を喜ぶのとは対照的に、子供たちが親をお荷物扱いする様子に注目する。

久しぶりに子供たちに会えて喜ぶとみは「やっぱり長生きはするもんじゃのう」と満面の笑顔で息子や娘たちに話しかけ、喜びを露わにしている。しかし、親をもてなす側である子供は、実際のところ親のいないところで親の文句ばかり口にしている描写が何度も挟まれる。

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「どうせ4、5日はこっち(東京)にいるでしょ」

「(お母さんたちなんて東京の高級なお菓子じゃなくて)おせんべいで十分!」

「お父さんとお母さん、いつまで東京にいるのかしら…」

と口にするのは長女の志げである。彼女は、突然東京に現れたお父さん・お母さんに対して笑顔で応対し、ときに昔話に花を咲かせたりするのだが、ふとした瞬間に本音を漏らす。親たちがいなくなった後、志げが素直に愚痴をこぼすシーンが映画では繰り返し登場する。

また長男の幸一も、志げほどハッキリと言葉にはしない(或いはできない)ものの、志げの強い口調に何度も同調しており、両親の来訪に内心困っていることが窺える。

 

結局長男も長女も、東京滞在の最初の数日は両親を必死にもてなし優しく接していたが、時間が経つにつれ自分の仕事を優先するようになってゆく。これは第三者からすれば、せっかく自分達に会いにきてくれた両親に対して酷い態度をとっていると受け取っても仕方がない有様である。

 

このように映画の中で一貫して強調される、親と子供の対比的な態度が示すのは、子供の自立・成長に伴って家族は解体せざるを得ないという端的な事実である。

 

子供たちの態度は、決して親との不仲や、親との再会を不快に思っているということを意味しない。

ここで重要なのは、長男も長女も親元を離れて久しく、東京ですでにそれぞれの「生活」を築いているということである。

言い換えると、子供たちは、東京に暮らす自分自身や自分の家族を守っていくために、両親よりも自分自分の家族を優先せざるを得ない状況にあるということだ。

 


それを強調するために、映画では「東京という土地で必死に暮らしている子供たちの様子」をとても丁寧に描いている。

 

平山家・長男の幸一は開業医であり、周りの人間はその肩書きに社会的成功を信じて疑わないが、実際のところ下町の開業医では生活にゆとりがあると言えるほど稼ぎがなく、妻の力を借りながらなんとか医院を経営して暮らしている状態であることが窺える。だからこそ、幸一は両親とともに東京観光をする予定があったにも関わらず、それをキャンセルして急患を優先し、医者としての自分と、その延長にある家族の生活を守ろうとしていたのである。

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また、長女の志げが美容院で丁寧な接客をしたり、講習会を開いたりしている様子も実に細かく描かれているが、彼女も幸一と同様に、両親をもてなすために自分の生活を犠牲にすることが難しかったのである。

 

志げの素直な言葉の数々は、我々の心にザラリとした感触を残していく。梶村(2013)は、志げのカリカチュア化されたエゴイズムに言及し、「無邪気なまでの、呼吸するようなエゴイズム。考えるいとまもない速度で繰り出される小狡さ。無意識のうちに計算し、割り切り、便宜的に処理していく姿。苦笑いしながらも、誰もが受容せざるを得ない何かをわたしたちは彼女の姿に感じ取る。見る者は、やや戯画化されたその姿に大笑いし、そのあとにしばし沈黙するだろう。」と説明する。

さらには、「彼女に悪意があるわけではない。極端な利己心の持ち主でもない。ただ、生活を推進しているにすぎない。ある緊張感を持って自分の生活を守っているにすぎない。それは社会的責務のネットワークの中に生きる緊張感であり、おのれの生活を維持する経済的緊張感と言いなおしてもいい。それは、兄の幸一も共有する生活人の自然な緊張感だ。紀子も、三男の敬三も、末っ子の涼子も、誰もが黙って持つ緊張感である。」と付け加える。

 

鑑賞者である我々は、葬式が終わるとすぐに東京へ戻った長男や長女に対して、平山家の末っ子・涼子が「薄情だ」と憤る気持ちをもちろん理解することができるし、葬式後すぐに長女が母親の形見の話をしたり、三男がモリモリとご飯を食べたりするようなのが、なんとなくいやらしいと感じられる心だってある。


しかし一方で、彼らのように親元を離れてある程度自分の生活をしていると、涼子のように綺麗事ばかり言ってはいられなくなるということもわかっている。

 

子供たちが両親に冷淡な態度をとってしまっているのは、東京という大都市で日々を生き抜くために、常に緊張感を持って暮らすうえでは仕方のないことであり、突然田舎から出てきた両親を十分にもてなすような生活の隙間はなかったのである。

我々は、親元を離れ東京で必死に暮らす子供たちが、それぞれ守るべき生活を持っていることを理解するからこそ、エゴイズムを孕んだ数々の発言を許容し、共感する。

 

元々は家族という連帯の中で暮らしていた親と子供だったが、子供が成長して大人になっていくにつれて、子供は親から離れて、それぞれの生活を築いていくことになる。そういった、普遍的な家族の解体の中で、周吉ととみは、自然と孤立していくのである。

 


さて、老夫婦が熱海で感じた気まずさも、2人の孤独を紐解く鍵を握っている。

 


子供たちから突然プレゼントされた熱海旅行であったが、周吉ととみは、熱海の綺麗な景色や美味しい海の幸に大変満足し、旅行を楽しんでいた。そして2人は「朝起きたら熱海の静かな海を見に行こう」と約束し床に就いたのだが、その日は旅館に泊まっている若者たちが一晩中どんちゃん騒ぎを続けたせいで、なかなか寝つくことができないまま朝を迎えた。そんな元気な若者たちと対比される形で、熱海にいながら孤立する周吉ととみの姿が象徴的な映像で描かれている。

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ちなみに小野(2015)は、老夫婦の訪問地を「熱海」に設定しなければならない理由があったと説明している。小野によれば「この当時の熱海は、ゆっくりと長湯治をする人のための温泉地というよりは、手軽な一泊旅行の目的地として、新婚旅行や社員旅行に利用された。戦後日本の復興と経済発展のエネルギーを体現している場所で、『東京物語』のなかでも活き活きと描き出されているのは長期滞在をする歴史的な湯治場としての熱海ではなくて、日常から解放されて麻雀をしたり、酒を飲んだりする熱海なのだ」ということである。つまり、熱海とは若者の生に満ちたエネルギッシュな場所として存在しているのであり、生の終焉を迎えつつある周吉やとみにとっては、馴染むことが難しい場所だったのだ。そういった表現で、2人は熱海という場所から除け者にされてしまった。


またカメラワークに関して、周吉ととみが、寝不足の体で熱海の海を眺めながら「こんなとこは若いもんのくるところぢやァ」と話し合うシーンでは、哀愁漂う2人の小さな背中を見ることができる。広大な海を前にして、ちっぽけな存在に映る2人の姿は、孤独や孤立という表現が非常にしっくりくる。

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そして、2人が熱海旅行を予定よりも早く切り上げ、都内をさまよっているシーンでも、引きのカットが多用されることで、その哀しさが見事に表現されている。

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小津映画の特徴として、顔をアップにしたカットが多用され、否が応でも役者の表情に注目させられることが挙げられるが、本作品において老夫婦の孤立した悲しみを表現する際には、老年期のおぼつかない足取りや、丸まった小さい背中などを強調するために、全身を映すような引きのショットが多かったように思われる。

 

 

周吉・とみの2人は、子供たちが親の面倒を見ないことに対して「人情がない」と怒りをむきだしにしているというのではない。彼らは、受け入れがたい事実を受け止め、静かに納得していく努力をする。

そもそも、子供たちが両親よりも自分の生活を守ることに関して、小津は悪意を持って描くようなことをしていない。子供たちが独立の道を辿ることで、「親と子」という家族の関係が緩やかに解消されてゆき、親が親としてではなく、一人の人間として取り残されることに複雑な思いを抱える過程を丁寧にたどってゆく。むしろ、完全な悪者が物語の中に存在しないからこそ、より一層つらいのだ。

この映画は、子供が巣立ち、家族の形が変容していくさまを、親は哀しみ諦めとともにひたすら受容していくほかないことを明らかにする。一見情がないようにも思われる子供たちの振る舞いは、親のそばを離れて自活していく子供たちにとっては当たり前のことであり、親もいちいちそれを咎めたりするべきではないのだ。

子供はいつか親から離れていくものではあるが、それは万人にとって避けがたく普遍的なものであり、それゆえに、劇的にはなりえない千差万別の苦悩が存在すると言える。


これが、老年期を迎えた親の「孤独」や痛切さであり、小津が映画を通して巧みに描いているものなのである。

 


さて、次に②未亡人である紀子の孤独について触れる。

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この映画は、戦後の日本に暮らす人々を描いたものであるが、紀子は、平山家の次男である昌二と結婚したのち、その旦那を戦争で失い、未亡人となってしまった人である。

当時の日本には、同じ状況に置かれた女性も一定数存在していたのだろうが、戦争の残酷さ自体にはスポットが当てられず、戦争の爪痕だけが淡々と語られる。

昌二のいなくなった今、紀子は小さな会社で事務をしながら、狭いアパートで質素に暮らしている。彼女のアパートは、簡単な家具と昌二の写真があるだけで、飾り気がなく広さもない。そんななかに暮らす紀子を客観的に表すとすれば、戦争で人生を中断させられ、確かな居場所や地位を持たず、大都市東京にひとり浮遊する、寄る辺なき孤独な生活者でしかない。

そのような不安定な身分である紀子に、アイデンティティの揺らぎが生じるのは当然だと言えよう。

だからこそ、孤独な紀子が自らの尊厳を保つために、よりどころとしたのが、「平山家次男の嫁」という肩書きそれ自体なのではないかと考えられる。

東京を訪れた周吉・とみ夫婦を実の子供たちが邪険に扱う中、義理の娘である紀子だけが彼らを受け入れ、常に優しく接していた。実の子供たちが自分の生活を優先し両親の面倒を後回しにしていることで、紀子が仕事を休んでまで彼らをもてなす姿がより美しく映る。

夫の戦死から8年も経ち、互いに遠くに住んでいることを思えば、平山家と紀子の関係は、すでに薄いものであると言えるだろう。

それにも関わらず、紀子が異様なまでに周吉ととみをもてなす姿は、鑑賞者にある種の違和感を抱かせる。その現実と向き合った時、紀子という女性から「ただの優しい人」には収まらない、人間的な質量を感じることができる。

つまり、紀子の無償の愛には、どこか暗い影があるということなのである。

 


結局、「できすぎた嫁」と言える紀子の献身ぶりは、完全なる善意や優しさからではないことが、物語終盤で本人の口から明かされる。

もちろん、紀子は血縁者でないからこそ、義理の両親を無下に扱うことはできなかったのだと説明することもできる。しかしそれ以上に、紀子が中途半端な存在である自分自身から目を背け、亡き夫との絆に縋りつきたい、または自らの孤独を受容することから逃れたいという気持ちが、紀子を献身的にさせたのではないかと思われるのだ。

映画内では、独り身の紀子を心配して、とみや周吉が何度か再婚を促しているが、そのたびに紀子が複雑な表情を浮かべるのがわかる。紀子が、長女に家を追い出されたとみを泊めた時、このような会話が交わされる。

 

とみ「なァ紀さん、気を悪うされると困るんぢやけえど……昌二のう、死んでからもう八年にもなるのに、あんたがまだああして写真なんか飾つとるのを見ると、わたしァなんやらあんたが気の毒で……」

紀子「どうしてなんですの?」

とみ「あんたにァ今まで苦労のさせ通しで、このままぢや、わたしァすまんすまん思ふて……」

紀子「いいの、お母さま。あたし勝手にこうしてますの」

とみ「でもあんた、それぢやァあんまりのう……」

紀子「いいえ、いいんですの。あたし、このほうが気楽なんですの」

とみ「でもなァ、今はそうでも、だんだん年でもとつてくると、やつぱり一人ぢや淋しいけえのう」

紀子「いいんです。あたし年取らないことにきめてますから」

とみ「ええ人ぢやのう、あんたァ……」

紀子「(淡々と)ぢや、おやすみなさい」

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涙ぐむとみとは対照的に、微笑を浮かべて淡々と対応する紀子からは、どことなく気まずさがにじんでいる。それは、優しい紀子の行く末を案じて涙を流しながら再婚を勧めてくれるとみに対して、紀子がとみを騙しているようなうしろめたさを感じているからに違いない。

上記の会話から窺えるように、紀子自身は、夫との離別やそれによって失われた未来をあまり直視しないようにしているのである。

年を取らないことを決めている、という言葉通りに、紀子の部屋が時間の経過を封印しているかのようである。それは「平山家次男・昌二の嫁」という肩書きを失ったが最後、紀子が自身の孤独と向き合わざるを得ないからであり、孤独という事実との対峙を避けようとしているからである。

つまり、紀子が平山家に与える限りない優しさは、心の底から老夫婦や昌二を思ってのものだけではなく、自分のためでもあるということである。東京に単身で住まう紀子にとって、唯一と言っていいほどの「繋がり」が平山家なのであり、それに縋るほかないのだ。

ところで、紀子の両親などは「繋がり」に含まれないのかと疑問を感じる声も存在すると思う。紀子の家族について、詳細は明らかにされていないのだが、親戚と呼べる者はすでに全員亡くなっているのではないかと思われるポイントが所々に散りばめられている。それは、「戦火を免れた尾道とは対照的に、「戦火を免れなかった東京」の存在によって浮かび上がってくるものである。紀子の言葉遣いは、しばしば志げの下町言葉と対比させて説明されるのだが、おっとりとしてとても丁寧な標準語であるため、山手側に住む人間の言葉だと言われている。そこからわかるように、紀子は幼いころから東京に暮らしており、丸の内に勤める昌二と接点を持ったのも、東京だったと考えられる。つまり紀子は、東京に暮らす家族を戦争によって亡くしているのではないかと推察される。だからこそ、紀子にとって平山家との縁は、孤独から逃れうる唯一の道なのであり、何としても守りたいものだっただろう。紀子が誰とも結婚せずに、平山家の人間に親切に接するのは、平山家に認められるような立派な嫁として在ることで、自我を保つためなのである。

現代に比べて伝統的共同体の結びつきが重視された時代であったことを想像すれば、紀子の苦しみはより重みを増す。紀子は、自らの欲を隠しながら、周吉やとみに気に入られるような行いをして、実際にそれを褒められることで、うしろめたさを感じるのだろう。

そして、とみが亡くなってから、再度紀子に再婚を促した周吉に対し、紀子はついに本心を吐露する。


周吉「もう昌二のこたア忘れて貰ふてええんぢや。いつまでもあんたにそのままでおられると、却ってこつちが心苦しうなる。—— 困るんぢや。」

紀子「あたくし狡いんです。お父様やお母様が思つてらつしやるほど、さういつもいつも昌二さんのことばつかり考えているわけぢやありません」

紀子「このごろ、思ひ出さない日さへあるんです。忘れてる日が多いんです。あたくし、いつまでもこのままぢやゐられないやうな気もするんです。このままかうして一人でゐたら、一体どうなるんだらうなんて、ふッと夜中に考へたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとても寂しいんです。どこか心の隅で何かを待つてるんです——狡いんです」

周吉「いやア、狡うはない」

紀子「いいえ、狡いんです。さういふことお母さまには申し上げられなかつたんです。」

周吉「ええんぢやよ。それで。——やつぱりあんはええ人ぢやよ、正直で……」

紀子「とんでもない」

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紀子は、孤独という現実から目を背けてきた自分と、将来に対する不安を告白する。彼女が自分のことを「狡い」というのは、戦争を生き残った人間として生活する中で、戦死した昌二(や紀子の家族)を忘れることもあるという狡さや、偽りの優しさで平山家と繋がりを維持することで、自らも家族の一員であろうとする狡さによるものである。つまり、周吉やとみに対する紀子の無償の愛は、自身の孤独を逃れるための打算的なものであったと明かしたのである。

もちろん、こうして紀子が真実を明かしたのは、平山家を騙すような行為に耐えられなくなったこともあるだろうが、とみの死によって自らの孤独や死が身近に感じられるようになり不安が増したことは、ひとつ大きなきっかけとなっているだろう。家族の連帯をほとんど失っている紀子は、死を迎えた自分がどのような道を辿るのか、とみの死を通して強く意識したに違いない。とみの死によって平山の一族は全員尾道に集まり、葬儀を行ったが、独り身の紀子の葬儀には、いったい誰が駆けつけるのだろうか。喪主は誰になるのだろうか。また、紀子は最終的に誰の墓に入るのだろうか。そういった、死に関するさまざまな想像が、紀子の孤独をより現実にしたに違いない。また、葬儀後の精進落としで、一族が家族の思い出話に浸る中、所詮よそ者の紀子は全く会話に入れず、強い疎外感を覚えたはずである。平山家に縋りつこうとすればするほど、紀子は孤独を感じることとなる。そんなやり取りに辟易してしまったからこそ、紀子は周吉についに本心を明かしたのだろう。しかし周吉は、紀子の優しさを賞賛し、こんなに素晴らしい子は別の家のお嫁にもすぐに行けるだろうと言って、紀子を平山の一族から追い出そうとする。紀子に対し、救いの手を差し伸べるのではなく、平山の家を出て幸せになるようにと伝え、「平山家」という共同体から離脱することを促すのである。それにより紀子は言葉を失って泣き出してしまう。紀子の涙には、最後の繋がりであった平山家との縁が失われてしまったことに対する想いが含まれていると考えていいだろう。周吉にとっては、孤独な紀子を案じての提案であったが、平山との繋がりに縋りつこうとする紀子にとっては、非常に残酷な言葉として映ったはずだ。

さらには、周吉が紀子との別れの際に、とみの形見として時計を渡すのも意味深である。昌二の死から時を進めないようにと意識し、自らの孤独と向き合うことを避けてきた紀子に、時の進みを伝える役割のある「時計」を渡すのである。

これはきっと、紀子よりも長い時間を生きている周吉なりの、人生との向き合い方に関するメッセージなのだろう。人間は、受け入れがたい現実を含め、人生のすべてを受容して、時には自分を騙しながらも、折り合いをつける努力をしていく必要がある周吉は、過ぎてゆく時間から目をそらす紀子に、あらためて時間を意識させ、孤独と向き合うきっかけを与えたと捉えることができる。

 


最後に、③父・周吉の孤独について触れる。

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周吉は、とみの死によって一人取り残されることとなる、平山家の大黒柱である。周吉の孤独は、わかりやすい言葉や映像で示されるわけではないが、確かにそこに存在する。とみの死を見届けた後、瀬戸内海を昇る朝日を見て、周吉は

「あア、綺麗な夜明けだつたよ……今日も暑うなるぞ……」

と、穏やかな声でつぶやく。

「妻の死」「普段通りの夜明け」・「普段通りの暑さ」が画面内に同居するとき、我々は、改めて人間の死の普遍性に気づかされる。周吉は、妻の死を特別な出来事としてではなく、普遍的な死として受け止めていく過程を通して、自らの孤独を和らげようとするのである。


またラストシーンにて、とみが亡くなって周吉と隣家の細君が言葉を交わすところでは、会話に軽さがあるところに注目したい。

細君「皆さんお帰りになって、お寂しうなりましたなア」

周吉「いやア……」

細君「ほんとに急なこつてしたなア……」

周吉「いやア……(妻は)気のきかん奴でしたが、こんなことなら、生きとるうちにもつと優しうしといてやりやアよかつたと思ひますよ……」

細君「なあ」

周吉「一人になると急に日が永うなりますわい……」

細君「全くなア……お寂しいこつてすなア……」

周吉「いやア……」

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語られる言葉の重さとは裏腹に、軽快に会話が進んでいく。明るい気分で尾道から東京に発ったあの日と同じように、妻の死についても、隣人と笑顔で言葉を交わすのである。これは、決して隣人が薄情で鈍感な人間だということを意味しない。むしろ隣人は、配慮にあふれた女性だと言える。

周吉の抱える喪失感や孤独、老いの重さは、決して感情的に表現されないが、そこに確かに存在していることを忘れてはいけない。

鑑賞者が周吉の境遇に思いを巡らせたとき、周吉が直面している、人生を送る上では避けがたくつらいことのすべてが、鑑賞者にも重くのしかかるはずである。しかし、それらをあえて軽く表現することは、人間の尊厳の真実を描いているように思う。

人間は、年を重ねていくにつれて、自らがどうすることもできない重さを、軽く転化していく術を身に付けていくものである。それは、人生の受容において確実に必要な段階である。二人の会話も、妻の死という重く苦しい事実をなんとか軽く表現する思いやりによって成り立っている。その軽さが、むしろ周吉の孤独という重い事実を突きつけてくるのである。

そして、映画の終盤には、一人ぼっちになった周吉が、海のほうを見て悄然としている姿が映し出される。そこで周吉の喉仏がグッと動くところに視線が行くのだが、この喉仏の動きは、我々にを語りかける。小野(2015)によると、「周吉の喉仏の動きをキャメラが注視するが、『喉仏』が遺骨において重要となるように、そこには死の影もつきまとう。喉仏が飛び出すのは成人男性の特徴でもあり、とみが去っていくことへの複雑な気持ちを代弁する道具となっている。喉『仏』と呼ばれるのは骨を焼いたときに喉の部分に残るのが仏の形をしているからだとされている。実際には軟骨なので焼けてしまい、仏の姿と錯覚されてきたのは頸椎なのだが、それでも人間の喉に仏が宿っているという考えは、死人を『仏』と呼ぶ私たちにとってなじみやすいものだろう。」ということである。この映画では、老年期にある周吉の顔や喉仏を画面いっぱいに映すことで、老いが迫ってくることを感じさせる。そして、わかりやすく表現された老いや死の存在が、周吉の孤独を際立たせるのである。

 


東京物語』は、有限の時間を生きる人間が、孤独の中で人生と折り合いをつけ、受け入れる過程を丁寧に描く作品である。制作から半世紀以上経った今でも、普遍的に存在する人間の悩みを描いているからこそ、この作品は名作たり得るのである。

 

 

 

【参考文献】

小野俊太郎(2015)「『東京物語』と日本人」、松柏社

梶原啓二(2013)「『東京物語』と小津安二郎 なぜ世界はベスト1に選んだのか」、平凡社

田中真澄編(2020)「小津安二郎東京物語』ほか」、みすず書房

竹林出(2016)「映画監督小津安二郎の軌跡 芸術家として、認識者として」、風濤社

蓮實重彦(2016)「監督 小津安二郎〔増補決定版〕」、ちくま学芸文庫