ちえりちゃんのラビリンス

浪人失敗世間知らずマンの書き殴り

2022年7月12日の日記

今日ぐらい余裕のある日は、真面目に日記を書こうという気持ちになる。


や、日記を適当に書いてしまうという悩みを以前つぶやいていたことがあったんだけど

(参考画像)

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↑カスみたいな日記書くな



本当のところを言うと、「超本気の日記を書く」か「諦めの日記を書く」かの2択が存在しているなかで、仕方なく後者を選択しているという状況なんよな。


私的には、毎日前者のスタイルで日記を書きたいわけですよ。その日起こったすべてのことを事細かに記録したくなってしまうし、それこそが日記のあるべき姿とまで思っている。かといって、毎日毎日起こることすべてを文章にしてる余裕はないわけで……ちゃんと書けないんだったら、もうなんでもいいわという気持ちになり、1日3行のクソ日記が爆誕してしまう。
中庸を覚えような!って感じなんだけど人生上手くいかないね。

 

でまあ、今日は過去の優秀なちえりちゃんが課題やら何やらをすべて片づけてくれていたおかげでかなり時間に余裕があるので、1時間かけて日記を書いてみることにしようと思う。まあ究極は、出来事が起きたその瞬間からすべて抜け漏れなくメモしていく日記なんだけど、さすがに現実的じゃなかったからやめぴ。

 

~ ~ ~ ~ ~

 

今日というか昨日というか?、久しぶりに高校同期と飲みに行って、カラオケまでして帰宅したので、気づいたら24時をまわってしまっていた。パパが次の日ゴルフで早朝起床と聞いていたので、音を立てないように慎重に帰宅。


そういえば、最近まで門限がガチで22時で、これを過ぎると怒られていたんだけど、
さすがに「もう23歳なんだよね……」「実はママとパパが家を空けている間に、2次会や3次会に初めて参加してみたりして、そのおかげでかなり交友関係に幅が出たのと、ついでに深みもでたので、人付き合いを大事にし始めたんだよね」「やっぱり人間ってコミュニティに属してこそ幸せになれるよね……」みたいな話を延々し続けた結果、ついに親が折れて

自己責任で遊びなさい!!

ということになり、門限がなくなった。

いやもう。これはマジで革命ですよ。

門限がなくなるなんて、そんなことあるんだ!!て発狂しちゃった。親は論理的に攻めて折れる相手じゃないので、感情面に訴えて正解だった。わーい。

 

……という話を浪人時代からの友人にしたら、「なんかインドの独立みたいだね」と言われて3日ぐらいジワジワきてた。

(深夜帰宅って割と広く一般的な大学生に与えられて当たり前の権利みたいな感じだけど、親がそれを仰々しく禁止→許可とかしてきたせいで、私もなぜか遅く帰れることに対してとんでもない達成感を味わっている様子がインドの独立っぽかったということなんだろうか)

 

まあそれは良いとして、普通に24時を過ぎて帰宅したことへの達成感?でホクホクしながら手を洗っていた。

そして、友達とたくさん話して盛り上がったのが楽しすぎたのかテンションが落ち着かず、なかなか寝付けないまま1時を過ぎた。楽しいことがあると本当に全身で喜んじゃうんですよね……ほんと……可愛すぎるな…?
んで、いろいろ発散すべくちょっと暴れたりTwitterに顔を出したりしてたんだけど、時間が遅くて誰もいないし当たり前に構ってもらえるわけもなくて、淋し……となってる間に気分が落ち着いた。落ち着いたころにはもう2時とかそんな時間になってて、やっぱり興奮しすぎてるな……と引いてしまった。自分で自分に引いたら、急に眠気に襲われて気絶するように寝た。

 

……でも、前日にお酒を飲んでることもあって、深く眠れなかったのか5時まえに目が覚めてしまうという。悲しい。睡眠は大事なのに…!!!


まあ早朝ゴルフに出かけなければならない父が活動を開始したため、そのゴソゴソ音に体が反応してしまい勝手に目が覚めてしまったのもあると思うけど……

一応今日は授業もあるから少し寝たいなと思いつつ、覚醒の度合いが高すぎて二度寝は無理という感じだった。

というか私、寝覚めが悪かったことが人生でほとんどなく、一度起きたらおめめがぱっちりになっちゃうんよね。二度寝はあえてしようと思わないとできないし、その二度目の入眠に30分はかかってしまうことが予想されるから、時間がもったいない!と思うときは普通にベッドから起き上がって活動を開始してしまう。物音にすぐ反応して目を覚ましてしまう神経質さといい、二度寝することがほとんどない覚醒度といい、やっぱり私の体は狩猟時代に向いている。

 

といっても5時に誰かから連絡がきたりするわけもなく、勉強や読書も進んでする気になれなかったので、寂しくTwitterを見ていた。

昨日高校同期と遊んだから、久しぶりにリア友アカウント(わけあって活動休止している…)を覗こう!と思い立ち、自分のいいねをさかのぼっている間に、好きな友達の恋愛系のツイートを見つけ、なんか面白くてハートのところを2度タップしてしまった。

 

そしたら、そのツイート主がなんと起きてて、私のいいねに反応してわざわざLINEをくれるという神プレーが起こった。天才か?
マジで5時にLINEがきてこんなに嬉しかったことはないってぐらい喜んでた。まあ何時に連絡くれても嬉しい相手ではあるんだけど、今日は特別嬉しかった。

とにかくそこからは、ツイートに関連して恋愛の話になる……のかと思いきや、なぜか普通に猥談になってしまい、朝からFANZAで女優を確認するゴミになりつつ、最終的に人生について語り合うなどした。ふう。

笑いが止まらなさ過ぎて今日だけで腹筋が少し発達したような気がしてる。
5時から始めた会話だったけど、気づいたら9時になっててマジでビックリした。やば。

純粋に、4時間もお話しできて嬉し!!!て気持ちで9時を迎えた。

昨日の飲み会から嬉しいことが連続しているので、朝から幸せな気持ちがカンストしていた。ていうか、居酒屋の2軒目・3軒目でするようなディープな話を早朝からしていることに抵抗はなくはなかったけど、まあ深夜テンションの延長でなんとかなるもんなんだなと思った。

今朝話してくれたそこの君、もうずっと会えてないのが悲しいのでそろそろフェイストゥフェイスで会う機会をくださいよろしくお願いします。後輩くん入れてもいいし今年大学一年生になった人入れてもいいし!マジでよろしく!(空中リプ)

 

さて、さすがに9時になるとお父さんだけでなくお母さんや弟も生活を開始するので……私さんは授業もあるし、朝からとりあえずシャワーでも浴びてきなさいということになり、半ば強引にシャワーに入れられた。

 

朝は残り物のシチューを食べたんだけど、これがあんまりおいしくなくてちょっとだけへこんだ。いや、おいしくないは作ってくれた人に失礼だな。
なんかね、お父さんが一回病気をやってしまってから、食卓に健康的なご飯が並ぶことが増えたんですよね。今まで使っていた調味料を使わないだとか、とにかく塩分の高い食事は避けるだとか、そういうことが毎日行われているんですけど、まさかシチューもその影響を受けているとは思わなかった。
何が体に悪いのかはあんまり知らないけど、お母さんはレトルトを使わないことにしたらしく、クリーム部分を自作していた。自作シチューは、レトルトと比べるとかなり優しいお味(優しすぎる)で、コクとかそういうのもあんまりなかった。あとは、なんとなくとろみを出すために入れられたおからパウダー?が口の中でめちゃめちゃ粉っぽくはじけてて、あ……あああ……てなった。悲しかった。前日にはシチューを楽しみにしてTwitterでつぶやいているのも残っているのに……あまりにも悲しい……
今度また親が家をあけることがあれば、クレアおばさんでも買ってきて一人でシチューを作ってみようと思います。リベンジを誓います。

 

 

ご飯を食べ終わって、あれ?することなくね?ってなった私は、とりあえず図書館から借りてきたESGの本を読んだりソリティアしたりしてゆっくり過ごしてた。なんか、朝早く起きると一日の長さに驚くよね。今日は完全にそれだった。まあ3時間睡眠てことは21時間活動ってことになるのでそりゃ普通に活動時間が伸びてるんだが。

 

どうでもいいんだけど、本を読んでいると図書館から「あんたの予約してた本届いたで!」という連絡が入ったので、急いで着替えて本を取りに行ってきた。図書館が家から近いとちょっと人生が潤う。
予約してた本は、「リベラルとは何かー17世紀の自由主義から現代日本までー」というやつで、久しぶりに政治絡みのやつ。

というのも、こないだの土曜日に会ってきた友達に

「ちえりってリベラルやんな」
と確認されたときに、私って本当にリベラルか?と不安になったからとにかく知識が欲しいと思ったっていう。

あまりに知識がない。

不安になってなんとなくネットで調べても、こういうのってぶっちゃけ怪しいのしか出てこないじゃん…?だから、本に頼ることにした。
結局まだ読んでないけど、とりあえずこれ読んでから思ったことをちゃんと伝えるわ!!!!!また映画観に行くときにでも話そう!!!!!(空中リプ)

 

なんか知らんけど、図書館の後は少しだけお母さんの買い出しに付き合って、おとなしく帰宅。

父の健康のために魚を買うようになったんだけど、魚料理が中心になってからスーパーに通う回数を増やさざるを得なくなったらしい。確かに肉とかと違って冷凍しにくいもんな。そりゃしゃーない。こまめに行くのはめんどくさいが、たまについて行ってあげることにした。

 

帰宅時、自分が住んでるマンションに向かって歩いていく女性が他に2人いたんだけど、なんかみんなハイソな恰好をしていたのでついお母さんと二人で顔を見合わせてしまった。なんせ私とお母さんはほぼノーメーク・Tシャツ短パン・スニーカー・リュックという格好で外を歩いていたので……若干恥ずかし~って気持ちになっちゃった。
同じマンションに帰宅したおしゃれなみなさんは、スーパーに買い物に行くだけなのに高級そうな傘をさしてたりとか、かなり高さのあるヒールはいてたりとかして……本当に凄いなと思った。これが東京?
母に「そういう人になってね」と言われたけどなれる気がしなかった。

ギロッポンとかに住めばわたしにもパラダイムシフトが起こりますかね?

 

 

さて、スーパーで買ったものを冷蔵庫にしまい、昨日届いたお中元のお礼をするために祖父母に電話をかけ、昼ご飯を食べる。お昼はなんか美味しいクロワッサン。近所のスーパーのクロワッサンが妙に美味しいため、かなりの頻度で購入してしまう。みんなの家の近くにも四葉マークのスーパーがあれば、ぜひミニクロワッサンを買ってみてくれ。

 

 

さて、火曜日は3限しか授業がないけど、その3限のために登校しなきゃいけないとかいう厄介な日なんですよね。基本、登校はつらいことなので私さんは萎えてしまう。ただまあ、登校が厄介ではあるものの、この授業は毎週違う企業がやってきて自社のマーケティングについて語ってくれる授業なので、出席するのが辛すぎるとかそういうことはない。マーケティングおもろいしな。

 

最近は暑いので、3限だけの登校でも水筒を持っていくようにしてるんだけど、これが母親襲来によってリズムがくるってきてしまっている。

というのも、私はとあるネットの記事を読んで雑菌の繁殖しやすい麦茶を持ち運ぶことを恐れるようになったので、普段は持ち運ぶ用のジャスミンティーをつくるようにしていたのね。

だけど、あらかじめ作っておいたジャスミンティーを冷蔵庫に入れておいたら勝手に飲まれていたり、あとはお母さんが勝手に水筒を用意してくれているときには大体中身が麦茶だったりと、とにかくうまくいかないことが増えてきた。

もうわたしも、水分が全くないよりは麦茶の方がマシかな…と思いながら仕方なく麦茶水筒を持ち歩いてるけど、あんまり良くないですかね……ジャスミンティーに関しても、門限の時と同じように、一度真剣に話し合う必要があるかもしれないな………

 

さて、3限に出席するべく登校。外、暑すぎて本当にだるい。学校に着くまでの間に汗だくになるので、最近は少し早めに家を出て、トイレに入ってめっちゃ汗拭いてから授業に出るようにしてる。

 

今日の講演は、某お菓子のメーカーで、わたしがインターンを受けたところでもあったのでプレゼンへの期待大だったけど、正直あんまり面白くなかった。

こんなこと言うのもだけど、プレゼン資料がへたっぴでしたね。メッセージ1〜2行のみの強調のスライド(あれって社会人になったら使わん方がいいとか言われてない?)しか文字がまともに読めなかった……他所の資料をスクショで貼り付けすぎだと思いました。

 

一瞬だけ心が動いた瞬間があるとすれば、わたしがインターンの時にお世話になったメンターさんのおりちゃん(仮)が一瞬スライドに映ったときですかね。私はおりちゃんが元気そうでなんだか嬉しくなったよ。

それ以外はあんまりワクワクもせず終わっちゃったかなあ。はあ。わざわざ登校したのに…!( ;  ; )

教室も暑くて辛かったし、今日は私にとってなかなかハードな授業だったなあ。

 

その後、帰宅しようと思ったらやけに外がうるさくてびっくりしちゃった。空を見上げてみたらあっちにもこっちにもヘリコプターが飛んでいて、何も言われなくても何かが起こってしまってることがわかる感じだった。

まあ、キャンパスが増上寺とかなり近いのでね…!増上寺で元首相の告別式があったそうなので、おそらくそれの撮影隊とか、そんな感じだと思う。それにしてもバババババババってヘリの音うるさすぎる。なんであんなにうるさいん。あれは技術の進歩でどうにもならんのか?流石にブチ切れそうになってた。

 

 

家に帰ってから、ありえないくらいドッと疲れが押し寄せてきたので「あ…!!これは今朝ちゃんと寝なかったからだ…!!」と気づいてしまった。

普段ショートスリーパーイキリをしているが、その割に、睡眠時間が短いとすぐに活動に支障をきたしてしまうところがある。人間は弱い。

もうこうなったら、大人しく寝た方がパフォーマンスもあがるやろ…と思って、ガツンとみかんを一本食べた後、大人しくベッドで横になった。入眠までの記憶がないけどもうほぼほぼ気絶の入眠だったと思う。

1時間ぐらいすると、自然にパッと目が覚めて、体がスッキリになったので本当に良かった。なぜアラームもかけずに強気に寝てしまったのか、何度考えても意味がわからなかったが、1時間で起きられたので全てを許した。

 

起きたら、後輩くんからLINEが来ててもう完全に覚醒。勉強するから試験の過去問が欲しいと言われていたのに、私が寝てたせいですぐに反応できてなかったという……

こういうのってメッセージ送った瞬間に即欲しいやつだよな、と思って若干の申し訳なさを感じつつ、試験の過去問を送って先輩風を吹かしておく。

ちなみにこの過去問は、当時あまり得意でななかった先輩から私が頑張って入手したものだから、もっと感謝してくれてもいいよという感じ。感謝!してください!ホントに!3倍ぐらいで恩を返して欲しいですね。

 

 

その後夕食を食べてダラダラしつつお皿洗い………

Twitterでは言ったけど、母親の皿洗いがあまりに雑でコップや皿が汚い時があるので、流石に耐えかねて私が洗うようになったのよね。

意外と食器を洗うことが好きだということにも気づいたので、なんだかいい気分転換になっている。

 

イヤホンで音楽を聴きながら作業するのにちょうどいいんだけど、今日はずっとサザンを聴いてお皿をゴシゴシしていた。なんとなく、今朝話した友達のこと考えてたら湘南…!!!って気持ちになったのと、夕食時に親が見ていたテレビで鎌倉を紹介していたから……あと暑かったから……もうサザン以外は考えられない感じの仕上がりだった。

最近サザンを聴いてると、新宿中央公園で一緒にランニングしてくれた友達のことを思い出すようになった。そのときは、私がランニングに目覚めてから初めて友達と一緒に走った日なんだけど、私さん、かなり調子に乗りすぎていきなりハイペースで走ってしまい、すぐにバテちゃったのね。で、友達はまだ余裕があるからってことで2人のペースを調整するために、走りながらサザンの曲を歌ってイントロクイズをしてくれたんよ!!!友達が歌って、私が回答するイントロクイズ!w

まあお互いそれなりのペースで走ってハアハアしてるから、歌もまともなもんじゃないんだけど、でもなんか必死に歌ってるのが面白くて、めちゃめちゃツボだったwwwwwwwあと純粋に暑い日のサザンはテンションが上がりまくるので、ランニングに勢いが出た。とても良かった。

 

や、そのイントロクイズ以来、サザンを聴くとあの日のランニングが浮かぶようになって、それだけでにっこり笑顔になれる!みたいな日が増えた。嬉しい。

身の回りのいろんなことと私だけの楽しい思い出が結びついていくのが嬉しすぎるんだよね。今後もそういう経験を増やして、嬉しいことばっかりの人生にしていきたいと思った。

 

まあそのあとは…なんだろう……

雨で走れなかった分、腹筋中心の筋トレをしてみたり、家族でルタオのチーズケーキ食べて紅茶飲んだり、本読んだりブログ書いたり…??

 

あんまり面白みのない日常でした。いや面白みないは言い過ぎやけど。

 

 

とまあ今日の日記はこんな感じ……本当はもっと書きたかったけどもう寝たいし終わり!

やっぱり書くのに時間がかかって萎えちゃったけど達成感はエグいから、今後もたま〜に書くようにしたいと思う!!!いぇい!

 

それではみなさん良い夢を!!!おやすみなさい!!!

日記:最近走っています

やっはろ~ちえりです。

 

だんだん気温が高くなってきて
なにをする気もなくなってきたが…

パソコンカタカタぐらいなら
暑くてウダウダしてても気軽にできるので、
近況報告でもするぜ。いえーい。

BGMは梅田ナイトフィーバーです。

www.youtube.com

 

~  ~  ~  ~

 

最近ね、実はほぼ毎日ランニングをするようにしています。ジムとかはお金がかかっちゃうので、とりあえず近所を走るだけなんだけど。
だいたい6キロぐらい、たまに距離を伸ばして9キロ程度をとっとこ走ってる。とっとこハム太郎

 

よく「なんで走り始めたの?」「きっかけは?」みたいなことを聞かれるんですけど、そういう明確な何かはあんまりない。
一応不眠解消ということになるのかな。

夜になかなか寝付けないな~と思う日が増えていたので、ぐっすり眠るために身体を疲れさせよう!→とりあえずめちゃくちゃ走るぞ!!という脳筋スタイルの発想しかできんかった。たぶん思考が原始人。ワイルドだろ〜。

 

まあ、私はもともと走るのが嫌いではなかったから、そのうち走ることを習慣化したいなという思いはずっとあったんだよね。なんかランニング習慣あるってちょっとかっこいいやん。言ってみたいやん。わかる?

 

なんだけど、都会のランニングは何かと障害が多いよなあ……とまともに走ったこともないのに思ったりしていて、なかなか始められないよー!とウダウダしてたんだよね。

ていうか、まずね、想像に容易いと思うけど、

都会は走るのにふさわしい場所が全然ないんよ
いやまあ、普通の道を走ればそれで良いだろうということになるんだろうけど……

 

田舎だと、川沿いの道がランニング用にうまいこと改造されてる場所って結構ありません??

 

私が昔住んでた奈良県も、川沿いには赤いタータンが設置してあって、本当に走りやすいようになってたんよ。

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↑この赤いゴムチップの道!!!

陸上の競技場に敷いてあるやつですわ。

 

奈良県でさえ用意できるこの跳ね返りのいい道をね、東京くんは簡単に設置してくれないんですよね……タータンぐらいどうにかならんすか東京さん……


とまあそんな感じで、都会の道はとにかく人が多くてスムーズには走れないし、それに加えて信号も多いから足止めを食らいまくる。

じゃあ道ではなく公園の外周とかでなんとか走るか?と思ったりもするんだけど、なんか公園は茂みがすごくて暗い場所が多かったり公園自体にいろんな人が生活していたりで、ちえりちゃん一人で走るには不安が大きく……

あんまりランニングに適してる感じではないんですよね…

 

まあそんなような理由をつけては

都会でのランニングを避けに避け続けてきたんですが…

 

そんなときに身近な友達が、

〇〇通り(うちの近所にある大通り)で

ランニングをしてたことがあるよ」と

突然話題に上げたんですよ!

 

いや、私もその大通りの存在を知ってはいたんですけど、ランニングに向いているという認識はあまりなくて……

 

とりあえす、物は試し!ということで、私は近所の大通りでのランニングに挑戦してみることに。

 

……するとね、もうここ以外のルートは探すのも面倒になるくらい、完全に気に入ってしまった。はいお気に入り。もうこの大通りでずっと走り続けるよ、私は。 

 

何もかもが条件良い!というわけではないのでみなさんにお勧めはできないんだけど、とりあえず友達が言ってた通りのメリットが確かにあった。

 

まず都会ならではの歩行者通路の広さよ。車の方はベトナムを想起させるレベルで車線がある……それに合わせて歩行者用の道もかなり幅を用意してくれてる……

 

そして私的には、人通りの絶妙さを評価したい感じだった。いつもナイトランの時間帯に、程よく人がいるのが良い。走ってる人もいるし歩いてる人もいるけど、とにかく人の目があるという感じ。一応私は女性ランナーなので、あんまり人気がない道を走るのは怖いし……かといって人が多すぎると走路妨害に悩むことになるんだよなあ…ってのがあるけど、困るほど道に人はいないから大丈夫、っていう。絶妙な人通りとはそういうこと。意外とこれらが満たされてるだけで走るのに十分な場所だと思えるようになった。

 

あとは本当に道が明るいことかな。

1日の中でランニングに充てられそうな時間が超早朝か夜しかないんだけど、夜にズームミーティングなどを入れると超早朝には起きられないので……結局夜走るというので安定してくる。そうなると、暗い夜道を走ることに一応不安は覚えるわけですね……仮にも女性ランナーですし……でもそこの通りは、どの道もかなり明るくて、たぶん信号待ちで足のムダ毛処理をしていないことがバレるレベルで街灯がついている。マジで何キロ先まで行ってもビカビカ。

 

まあそんなこんなで。

都会ラン、意外と大丈夫やん!ということに気づいたので走り始めることができたのです。

 

 

正直、ランニングってこんなに気持ちいいことだったんだ…!!!

と何だか急に目覚めてしまいました。なんなんだろうなあ。快感がドッバドバになる。

 

一応「ランニング 気持ちいい」でググってみたら以下のような説明があった。

 

ランニングをすると、セロトニンという脳内物質が分泌されます。 このセロトニンが、精神の安定や自律神経を整えて気持ちを落ち着かせ、睡眠を誘うホルモン・メラトニン生成を助けてくれます。

https://www.sportsauthority.jp/staffblog/blog/b-runkouka202009/

 

セロトニン。なんかよくわからんけど結構聞くよね。こいつが出まくってめっちゃハイになってるっぽい。実際、走り終わった後の私のLINEはめちゃめちゃテンション高い(恥ずかしい)

あと多分ストレス耐性があがる。なんのホルモンか知らんけど分泌ありがとう。

 

いやしかし。走ることに快感を覚えるようになったのは本当にここ最近なのよね。昔から走ってるはずなのに!

 

一応、昔から足が速かったので(超自慢)6年間ぐらい陸上部に所属していたこともあるぐらいだったのだけど、人生で「走ること」に楽しみを覚えたのはガチでここ最近なの。今までは、楽しいとか楽しくないとかあんまりわからず、ひたすら走ってた。

ていうか「せっかく私は人より足が速いんだから、陸上をやるのがいいんだろう」くらいの感覚でしか走ることができてなかった。たまに、大会なんかで人に勝ったら嬉しいなーってぐらい。あとは両親も祖父母も陸上部だったので、気づいたら陸上をやるのは当たり前になってた……(両親はお互いの足が速いところも気に入って結婚しており……運動会で一位を独走する子供が見たかったと言っており……その通りの子供が生まれたわけだが………)

 

なんのパラダイムシフトが起こったんだか見当もつかないが、とにかく走ることを趣味だと言い張っても良いぐらいには楽しみを見出せるようになってよかったよ。

趣味走ることって検索欄に書きかけたら「うざい」ってサジェストされて泣いたが。

 

 

あ、走るときに好きな音楽に集中できるのも、実はかなり楽しいなと思っている。

私は他者と比較して明らかに音楽を聴く時間が短い人なんだけど、それは生活の中で音楽を聴くタイミングがないからなんよね。いやタイミングなんていくらでも作れると思うけど…!私はさりげない外出のタイミングで外の音を遮断するのが怖いからイヤホンをはめられないのよね。不審者とかいたら怖いし……(こういう、発生確率の低い恐怖に対して常に怯えているようなところが昔からある)

ほんで家にいたら、音楽だけ純粋に聴く時間…みたいなリッチな時間を過ごす余裕がマジでない。落ち着きのないゴリラだから、なんか動いてしまうんよな。家だと隙間時間みたいなものを意図的に消すことができるし。逆にみんなはどういうシチュエーションで音楽鑑賞を楽しんでいるのか純粋に気になるところではある。

 

おっと話がそれた、

そう、音楽を聴く余裕がない生活だったけど、ランニングを始めてからは、走りながらかなりちゃんと音楽に集中できるようになって、それも幸せだなあと思っている。

 

実は弟に骨伝導のイヤホンを借りるようにしているので、外界の音を拾いながら音楽を聴くことに成功している。

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こんな感じ。耳が塞がっていないので、車の音とか、後ろから来る自転車の音とか、結構聞こえる。

 

不審者の接近は……察知できるかわかんないけど、少なくともバリバリ運動できる格好で外に出ているという安心感からイヤホンをつけられる感じ。

正直いつもみたいにスカート・ヒールで、イヤホンで耳まで塞いでたら多分太刀打ちできないけど、ランニングシューズでジャージなら逃げ切れるかな?みたいな。

骨伝導イヤホン、正直とても良い。ただ音漏れもかなりしやすいので、それこそ都会ランニングみたいな状況下でしか安心して使うことができない。

 

そもそも、ランニングに音楽を導入したのは「一人で走るだけだと自分にプレッシャーをかける存在がいないので、音楽である程度ペースをコントロールしたい」という意図からだったんだけど、これが意外と難しい。

 

私は、音楽の拍通りに体を動かさないとムズムズしてしまう人間なんだけど、

(以下のブログ参照)

 

cheric.hatenablog.com

 

選ぶ音楽によっては、自分のペースが崩れて走りに影響が出るんですよね。

せっかく速く走れてたのに、曲が切り替わると急に減速するとか。

逆に、テンポの速い曲をかき集めてくれば、自分に相当のプレッシャーをかけることができるんですけど。

 

曲のテンポを一個一個調べるのが正直めんどくさい。
でも豊かなランニング生活のために、最低でもこのペースは守りたいなという曲を一曲見つけて、そこから同じBPMの曲を探してきた。

 

ちなみに私が目を付けたのは、冒頭でも貼らせてもらった、梅田サイファーの、別の曲で『トラボルタカスタム』。

youtu.be

いやー。マジカッコいい。Twitterでずっと言い続けてるけどホントにハマってる。

一応、元音源バージョンよりもファーストテイクの方が好きなのでこっちを貼っておく。動画後半の曲です!!!!!

 

んでこれがBPM172らしいんだけど、実はかなり良いペース。序盤はよゆーよゆー!って感じなんだけど5キロすぎるとなかなかきつくなってくる。せっかくだから最後まで同じペースで走りたいので、同じBPMの曲を調べてプレイリストを作成。

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……音楽を聴かなさすぎて偏りがすごい。

中学の時ライブにまで行ったワンオクロックの中でもかなり好きな曲が当てはまってて嬉しかった。

あとはラブライブの中でも好きな曲上位トップテンには入ってる子たちももれなくBPM172で、テンションが爆上がりしてしまった!!!!!!!

 

とりあえず、このペースで余裕持って走れるようになりたいな。息が上がらないように……鍛えていくことにする……!!!

 

 

なんかさ、一流の経営者とか超金持ちとかが、最終的に欲するものは「健康」で、結局みんなランニングしまくるようになるとかいうじゃん?

あれにも一歩近づいた気がしていて、セロトニンの分泌云々は置いといて普通に気持ちが前向きになる。まだ社会にも出てないし何にも成し遂げてないゴミカス学生だけど、健康の重要さに若いうちから気づくことができているという自信(?)みたいなさ。

いや健康は本当に尊いですね。こういうのは日々の積み重ねですからね。もちろんどれだけ努力しようとも防ぎきれないものもあるけど、ある種「自分がどう生きてきたかの答え合わせ」がすごい期間をかけて行われる感じですもんね。本当に身体を大事にして生きていきたい。

 

とまあ最近そんな感じです。走るのたのしい!!一緒に走ってくれる仲間も募集していますのでぜひ。

 

 

#ランニング #ジョギング 

ライトノベルが小学生ワイを救った

「君は中高の話はするけど、小学校の話を全然しないよね」ととある友人に言われたから、意地になって小学校の話をしてみようかと思った。私だって小学校の思い出があるんだぞ!!!

 

 

……といっても、普通の地元の市立小学校を卒業しただけなので、特に際立った特徴とかはないし、いまいち面白みに欠けるんだけどね。

 

ほら、中学をシンガポールで過ごしたとか、高校を監獄と呼ばれる進学校で過ごしたとか、そういうことは特徴的で面白いかなと思うからこそブログにしがちなわけだけど。

 

まあいいや、

あんまり面白いエピソードもないけど、小学校時代のなかでも、比較的濃いと思われる思い出を、頑張って絞り出してみたというブログにしたいと思います。

私は人より記憶力が弱いという自負があるため、記憶に残っていることが限定的すぎることに問題があるけど…!なんとか無理やり頑張るよ!!!

 

 

〜〜     〜〜     〜〜

 

今ではちえりちゃん=オタクというのは当たり前のように認知されてると思うんだけど(自我強オタク)、

オタクに目覚めた?のは小学校3〜4年生ぐらいのときなんだよね。そこからずっとオタク。そう、意外と歴長くね?もう10年以上オタクやってるわ。

別にすごいことではないけど。

 

 

オタクになったきっかけは、クラスで隣の席になった男の子が、深夜帯アニメの話をしてたことでした。これはしっかり覚えてる。

その子は、4兄弟の末っ子で、家にいる年上のお兄ちゃんたちからいろんな情報を仕入れてる早熟タイプな子だったのね。

んで、その子が話してくれるありとあらゆる事が面白くて、隣の席でよくいろんなことをお話ししてた。その子は10歳にして「怖いですよね〜……バブル景気の崩壊!」っていう持ちネタがあったんだけど、当時全然同級生にはウケてないところがまた良かった。

 

いきなり脱線しそうになったんですけどね、

そんな子がある日、このアニメはおもしれぇんだ!と意気揚々と教えてくれたのが

『デュラララ‼︎』

という作品だったのよ

 

https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=1069

 

これは私が今でも大好きな作品で、池袋や新宿に行くたびにいまだにテンションが上がってしまう原因?なのだけど、とにかく面白い。

ざっくり言うと、東京で起こるギャングの抗争的な話。

 

 

そして、当時はアニメが放映されていたタイミングだったので(歳がバレる〜!?)、彼と彼の周辺がずっとデュラララ‼︎で盛り上がっていて、自分もその輪の中で楽しくお話ししたい!!!と思い続けていた。

 

ただ、当時の私にとってはすごく大きな問題があって……

あの時期の私は、親から漫画やアニメを禁止されていたのよね。

 

いや、明確にダメだと言われたことはなかったけど、そういったものを摂取することは良くないことだという刷り込みが激しかった。アニメを好きな人は揃いも揃って気持ちが悪い、みたいな話をされ続けた。

実際うちに漫画は一冊もなかったし、同級生の持ってる『ちゃお』や『なかよし』だって、ねだっても買ってもらえたことはなかった。

アニメも、ポケモンイナズマイレブンぐらいならいいけど、深夜帯のものを見るなんてありえないと。

 

そんな感じでガチガチに育てられていたので、『デュラララ!!』を見たいっていっても簡単に見られるわけもなく……

 

悩みに悩んだちえりちゃんは、デュラララ!!という作品を、使い慣れないインターネットでひたすら検索しましたよ……

するとですね………

 

なんか小説が出てるじゃないですか……!!

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当時、ライトノベルとかいう言葉はもちろん知らないし原作がラノベだというのもわかってなかったちえりちゃんだったので、

何が何やらわからず、とりあえず本があることだけは理解してそっとパソコンを閉じたあと、喜びで身体が震えていたのを覚えています。

 

いや喜びすぎやろと思われるかもしれないけど…!

 

漫画やアニメこそ禁止されていた我が家でしたが、本を読むことはむしろ推奨されていました

毎週土曜日は、両親と図書館に行く日と決まっていて、小学生の間は欠かすことなく毎週10〜20冊ほどの本をコンスタントに読んでいたぐらい、読書好きだったのです。

まあ、読書という行為自体も好きだったけど、本を読むことで勤勉だと両親に褒めてもらえることも好きだったとかいう、嫌な小学生ですが。

 

さあ。そういうことです。

 

漫画やアニメが禁止されているせいでデュラララ!!を見られないんじゃないかと思われたちえりちゃんだったけど、ライトノベルとの出会いにより、なんとかデュラララ‼︎に触れることができるようになったのです。

 

もうね、嬉しすぎて図書館にある限りのデュラララ‼︎を全部借りて、全部一瞬で読み終えたよね。

近所の図書館にデュラララ‼︎がほとんど揃っていたのもまた幸運でした。意外とラノベの品揃え?は図書館によって全然違うので……

もしここでデュラララ‼︎が近所になかったら、予約とか取り寄せとかそういうシステムも知らない子供だったので、デュラララ‼︎を読むことは叶わず、オタク化しないままの人生だったかもしれません。

 

結局、その後デュラララ‼︎にハマりすぎて我慢できずラノベを全巻買い漁ったのですが、引っ越しの際に段ボールにこっそり詰め込んでいたら、運び出しのタイミングで一箱だけ重すぎる!と親に不審がられて開封され、無事にオタバレした話はまた別の機会にでも。

 

そんなこんなで、クラスのお友達とデュラララ‼︎で盛り上がる楽しい日々を過ごすことができるようになり、どんどんオタク化が進行していくことになります……

 

今思えばですが「親が禁止していることにこっそりハマりこんでいる私」に酔っていたフシもあるのかなと思います。当時はそんなこと考えもしなかったけど、おそらく背徳感的な。

当時小学3〜4年生だったわけなので、深夜アニメにハマってるだけでもバチ尖りなわけです。その「尖ってる自分」というのも自分に酔ってしまった原因かもしれないですが、なんといっても、親の監視の目を掻い潜ってなんとか楽しめるエンタメ、という存在それ自体が魅力だったのかもしれません。

 

といっても、やはり私のオタク化にはデュラララ‼︎が欠かせなかったと思っています。いくら背徳感が良いスパイスになっていたといっても、デュラララ‼︎という作品それ自体の面白さがなければ、いわゆるオタクと呼ばれる存在にはなれなかったはずです。デュラララ‼︎が本当に面白くて、時間を忘れるほどのめり込めたからこそ、親から貶され続けていた「オタク」という存在になることを厭わなかったのです…!!

 

ってことで、デュラララは面白い作品なんで、みんな読んでくれよな!!

 

ラノベ最高!!!!!!!

 

親からの抑圧を受けながらオタク化を目指すキッズは、ぜひラノベを読んでみてくれ。

親に読書家だと褒められながらオタクになれるぞ。

 

ということでさようなら。

 

建国を祝う国民

 

昨日は建国記念日でしたね!いえーい!!日本、オメデトーッ!!!!!

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……とはならんよね。

いや、決めつけは非常にまずいけど、まあ多くの日本人は建国記念日を理由にパーティーはなかなか開かんよね。

何なら私は昨日まで建国記念日を忘れてて、金曜が休みなんだと知らなかったよ(それは親に良くないと叱られた)

 

でも、そうやって建国記念日をなんとなくで過ごせるっていうのはある意味幸せなのかもなと思うので、メモ書き程度のブログを書き始めた。

 

や、だってさ!!自分が住んでいたシンガポールでは、もっと大々的にナショナルデー祝ってたんだよね。今でもナショナルデーが8月9日だってこと、私がちゃんと覚えてるぐらいすごい日で、国民みんながナショナルデーを意識して、それを盛大に祝ってた。


それにシンガポールだけじゃなく、ちょこちょこ行ったことのあるアメリでも、インディペンデンスデー(独立記念日がとても大事にされていたからさ。

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そういう比較の中で、日本では建国記念日を大きく祝うような流れがないな~と、改めて思ったわけです。

 

 

実は私、誕生日がアメリカの独立記念日と同じなんだよね。そのおかげで、アメリカ人とちょっと打ち解けて自分の誕生日を口にすると、

「あ!!独立記念日じゃん!!」と高確率で反応される。

7月4日。そう、ジュライ・フォース。みんな7月4日に即反応してしまうぐらい、独立記念日が頭に刻まれてることがわかる。
自分の誕生日が会話のきっかけになるなんて、ちえりちゃん的にはかなりおいしかったりもするけど……日本の建国記念日を覚えてないマンとしては、独立記念日を覚えてるというのはかなり驚きの反応だった。

 

アメリカ 独立記念日」で検索したら、なんとなく独立記念日の盛り上がりが伝わると思うんだけど、
独立記念日には各所で花火があがりまくり、国民たちは星条旗模様の帽子とか小さめの旗とか用意するらしい。

ipa-mania.com

ホームパーティ用の星条旗グッズすごい。個人的にはアメリカ国旗好きだから普通に欲しい。

まあアメリカが自由を勝ち取った経緯を考えれば、この喜びようにも納得できるよね。アメリカが、支配を脱することができたこの日を長い間大事にしてきたんだというのは納得できるし、それをみんなで祝う姿も理解できる。

 

といってもアメリカは住んだことないから細かい部分についてはわからないんだけど、シンガポールナショナルデーも、アメリカ同様とにかくすごかった。

記憶力の弱い私がいまだに日にちを覚えているぐらいなんだから、それはもう、本当にすごい。

 

ナショナルデー前後は長期間すごい盛り上がりで、国を挙げての一大イベントなのよ。

具体的にどのくらいすごいかと言うと、町中を走るすべてのタクシーには国旗がつき、本番までの3~4か月間の間で、各所にてきらっきらのリハーサルが行われる感じ。

当時の写真があったので引っ張ってきた。

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こんな感じ。すごない?ちなみに毎年演出は変わる。
ナショナルデーが近づくと、どこに出かけてもお祭り気分で、すごく楽しいんだよね。

まあヘリコプターはちょっとだけうるさいけど。この、旗を持ってシンガポールの上空をうろちょろするやつ……結構な頻度でリハーサルを行うので、かなりの頻度で爆音に悩むけど、やっぱり楽しい。


8月9日にはテレビで生中継が行われ、ベイエリアのお祭りをそのまま観られるようになってるんだよ!!花火もテレビで確認できる。

 

そうそう、世界史で習った人は知ってるかもしれないんだけど、実はシンガポールも独立の歴史を持っています。といってもイギリスやら日本やらいろんな国に支配されていた経験があってわかりにくいけど、独立はマレーシアからです。
私が地理で習ったのは、「マレーシアではマレー系優遇の政策がとられており、派手に金を稼ぐ中華系は目の敵にされていたため、そんなのは許せん!!となった中華系の人たちが寄り集まって、交通の要所となるマレー半島の端っこで独立した」みたいな話だったんですが……
合ってるかな……
ちょっと不安だし興味のある人に検索してもらえると……

兎にも角にも、シンガポールの人たちも、支配から独立したという歴史があるからこそ、建国の日をとても大事にしているんだろうなと感じます。

 

 

じゃあ我らが日本の建国記念日ってなんなんだろ……と思って改めて調べてみたんだけど、どうも日本神話に基づいて制定されているらしいですね。初代天皇神武天皇の即位日らしい。なるほど?

あんまり日本神話や日本の歴史に詳しくないのでよく知らないけど、あれだよね、奈良の橿原神宮が祀ってるのって神武天皇だったよね?たしか橿原らへんを治めてたんだよね?それぐらいの知識しかない。

 

まあ、調べないとよくわからないぐらい、自分にとっては身近じゃない休日ということなんだよな。もちろん、「日本人」としてのアイデンティティは強く持っているんだけど、日本の建国記念日よりシンガポールのナショナルデーの方が印象に残ってるなんてちょっと不思議な話かもしれない。

とにかく、ナショナリズムのぶつかりあいを経て自由を勝ち取ったという歴史を持っている国にとってはとても重要な日になりうるんだけど、平和ボケして日本に暮らしてる私のような人間にとっては意識されることもない日だということで……


ま、浅い感想だけど、平和で良かったな~なんて思うよね。いや、平和って言い方は語弊あるかもしれないな。たまたま民族対立がなくてよかったな~ってだけか。
「なぜ日本人は建国記念の日を盛大に祝わないのか」という問い、今更ながら多方面に不愉快な思いをさせる可能性があるんではないかという気がしてきたのでこれ以上考えるのをやめようと思う。

私としては、単純に毎日がお祭りになるのは楽しいので、何となく建国日を祝ってくれてもいいんだけどね。シンガポールにいた時みたいに、週末の花火でキャッキャしたい。まあこれが実現することはないだろうけど。

 

ということで建国うんぬんの話を、詳しくもないのに書いてしまいましたが、もし各方面の方々による付け足し・修正などあればコメントで教えてください。それでは!!

 

 

内定先の情報を得た

今日は、自分の内定先の先輩とお通話したよ。

ま、先輩と言っても年齢はたった1歳差の先輩なので、今はまだ学部の4年生で、入社はしてなくて、配属先なども未定のようだけど……

実は私は平均よりも早く就活を始め、そして早く終わってしまった人間なんですが、内定から入社まで残された長い1年をどう過ごせばいいのかわからなくなっていたので、先輩に相談できてよかったです。

 

ちえりちゃんはあまり熱心に就活をやらずに、流れるようにここまで来てしまった人間なんだけど、その酷さは書き表せない程なので割愛する。こないだドラマ『相棒』をぼーっと見てたら、家の棚という棚に就活本が詰まっていて、就活塾に通いながら必死に頑張っている就活生が出てきたので、あ、あれが普通なのか…!と驚き、あの人らみたいに頑張られへんかったわ…とちょっと反省した。

そんな私は、一応「なんとなくやりたいこと」・「年収」・「企業ブランド」という、とてもじゃないが御社には言えない3軸で適当にインターンを受けていたんだけど、夏インターン後、たまたま最終選考まで進んで内々定を出してくれたところがあったので、素直に入社を決めたという感じで就活人生を終えた。
正直、思ってもないような将来の夢とか、自分自身の本質とか、そんなことを真面目な顔して語ることと、それらすべてを聞いたうえで私のことをあっさりと落としてくるような企業があることに疲れてしまったんだよね。本当に、しんどくなって一刻も早く就活をやめたかった……というのもあり、内々定が出た日は天にも昇る心地でした。と同時に、緊張の糸が切れてしまって就活にも身が入らなくなり、すぐに内々定に縋りついたという。厚みも深みもない、なんとも尻切れトンボな就活でした。

 

まあそんなノリで就活してたもんで、今日先輩の話を聞きながら今更、自分の会社の福利厚生の手厚さみたいなものに驚いてしまったんよね。
いや、手厚いっていうと日系企業に怒られそうだが。

まず、ちゃんと残業代が出る。
……私はちゃんと業界研究をしてなかったので、残業代が出ないパターンがあることを知らなかったが……先輩が残業代に感心してたので、へえ…!と思った。「年俸制だから残業代が出ない」的な外資はやっぱり多いけど、うちは出るらしい。

そしてさまざまな手当が充実している。らしい。これも先輩が言ってた。
たとえば、住宅手当は場所に関わらず一律で3万ぐらい出してくれることになっている。これも外資だと珍しいらしい……(本当に……知らないことばかりで情けない……)

ただまあ、日系みたいな手厚い研修とかは全然ないみたいで、そういうところは外資なんだwwwとちょっと思った。せいぜいベルリッツをホイと用意してくれているぐらいの感じで、何かを集まってやったりすることはないそうで。メンター制度もあってないようなもん。入社までに何かを叩き込まれるということはなく、悠々自適に暮らしていたらしい。

 

……ん!?!?
ということは、入社まで1年以上あるけど会社から強制されることはほとんどなくて、結構野放しってこと!?!?

1年間の過ごし方に困っているような人間にとってなかなか酷な現実が見えてきてしまい、さらに背筋が凍るというかなんというか…ゾッとしてしまいました。

 

内々定者が1年間をどう過ごしたのか気になっていたのですが、結局自由な時間が多いということで。
ますます自学自習が重要になってくるみたいです。

今まで以上に自分を律して、自らを高めていくことの重要性を感じました。

といっても、どういう方向性で努力をすればいいのかがあまりわからなかったので…そのあたりを先輩に質問してみたのだけど……

まだ入社してないんだから、そんな質問されても困るよな。いまさらながら先輩に負担をかけてしまってごめんと思いつつ、まあ会計分野・デジタル分野についての知識を詰めとくことが大事なんじゃないかなと言われた。なるほど。

特に会計は、知ってる・知らないで差が大きく開きそうだという認識があるので、会計ゼミ所属ワイ、内心ガッツポーズ。まあ会計情報ってのは会社の通信簿なわけなので、それを見てコンサルする必要があるということだよな。会計情報が読めるという強みを活かせるぐらいまでなんとかしたい。
デジタル分野は…何から始めれば…?とちょっと困ってしまったが、まあニュースや本から情報を集めていくしかないのかな。現段階の自分のレベル感としては1次選考・2次選考・最終選考すべてにおけるフィードバックで「デジタル分野への関心が高い、知っていることが多い」という評価を受けているので(嬉しい)、両親には「ホンマか?www」とネタ扱いされているんだけど、その評価がずっともらえるようにマジで頑張りたいなと思ってる。いろんなニュースやら本やらを読んで、時代の波に乗れるようにしておきたい。

 

あとあんまり先輩は言及してなかったけど、エクセルとかパワポのスキルはめちゃめちゃ求められそうだよな…という気がするので、MOSとか覗いてみようと思う。

 

あと全然関係ない嬉しいお話なんですが、仕事は99%リモートなんだそうです!!!!!やったー!!!!!
会社説明会の頃から、コンサル業界ではリモートが進んでるという話は聞いていたのですが、どうせそんなこといって出社するんやろ…と疑っていたのでビックリ。なんと「オフィスに30分以上滞在することが禁止」なんだそうです。30分以内ではとてもじゃないが仕事になんてならない…ということで、御社の?弊社の?リモートへの本気を感じました。
先輩たちのなかには、どうせリモートだからと綺麗な海の見える田舎にでっかい家を借りて家賃補助をもらっている人なんかもいるらしく。さすがに、その吹っ切れ具合に笑ってしまいました。
でも確かにインターンを受ける中で「働く場所を縛られないで済む、という点でコンサルを志望してるんです」という戦友たちもちょこちょこ見かけたので、業界全体的にそういう特徴があると言っても過言ではないのかもしれません。郊外移住、羨ましい気もするけど、正直なところ出社があるかないかはクライアントによりけりな部分もあるのかな…という気もするので、ビビりな私は都心に住もうかなと思っています。知らんけど。入社してからとりあえず様子見ですね。

 

なんとなく、今後やるべきことがぼんやりと見え始め、また働き始めてからの様子もちょっとだけ解像度が高まったような気がしました。よかった。
あと、今回お通話した先輩がとっても感じ良くて安心しました。なんていうか、私と同じく集団で寄り集まってトイレに行かなさそうな女性で、似たような人が集まるもんなんだなとホッとしたというか。雰囲気が似てる人たちと働けるのは素直に嬉しいです!!

まあとにかく自己研鑽に励みたいと思います。ぴえん。みんなも一緒にがんばろーな!

あでゅ!!!

 

小津安二郎『東京物語』における孤独の表現について

タイトルにある通りなんですが、東京物語』における孤独の表現について、自分なりに考えたことをまとめました。

まとめましたというか、「映画内で描かれる孤独についてレポート書け!」って学校から言われたので、私の好きな東京物語を選んで、結構やっつけで書いてしまったんですが…

ちょうど1/6に、池袋のほうで『東京物語』を観てきたばかりなので、せっかくだからブログにベタッと載せちゃう!!

一応、何度か読み直して加筆修正して、ブログに載せられるぐらいの文章にしたつもりなんですが…!!もし間違ってるところなどあればじゃんじゃか教えてください!!

 

ちなみに、見る人には不親切だけどあらすじはカットしちゃいました✂️

ストーリーがわからんよという人は自分で検索するなどしてー!!

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

小津安二郎東京物語』における孤独の表現について

 

家族が緩やかに解体していくストーリーの中で、特に意識されるのは、①老年夫婦の孤立 や、②未亡人紀子の孤独③父・周吉の孤独である。本レポートでは、この三様の孤独について論じる。

 

まずは①老年夫婦の孤立について考察する。

すでに60歳を超えた老夫婦の周吉・とみの孤立は、子供たちとの関係、また熱海での気まずさのなかから浮かび上がってくる。

 

まず映画前半で、老夫婦が子供たちとの再会を喜ぶのとは対照的に、子供たちが親をお荷物扱いする様子に注目する。

久しぶりに子供たちに会えて喜ぶとみは「やっぱり長生きはするもんじゃのう」と満面の笑顔で息子や娘たちに話しかけ、喜びを露わにしている。しかし、親をもてなす側である子供は、実際のところ親のいないところで親の文句ばかり口にしている描写が何度も挟まれる。

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「どうせ4、5日はこっち(東京)にいるでしょ」

「(お母さんたちなんて東京の高級なお菓子じゃなくて)おせんべいで十分!」

「お父さんとお母さん、いつまで東京にいるのかしら…」

と口にするのは長女の志げである。彼女は、突然東京に現れたお父さん・お母さんに対して笑顔で応対し、ときに昔話に花を咲かせたりするのだが、ふとした瞬間に本音を漏らす。親たちがいなくなった後、志げが素直に愚痴をこぼすシーンが映画では繰り返し登場する。

また長男の幸一も、志げほどハッキリと言葉にはしない(或いはできない)ものの、志げの強い口調に何度も同調しており、両親の来訪に内心困っていることが窺える。

 

結局長男も長女も、東京滞在の最初の数日は両親を必死にもてなし優しく接していたが、時間が経つにつれ自分の仕事を優先するようになってゆく。これは第三者からすれば、せっかく自分達に会いにきてくれた両親に対して酷い態度をとっていると受け取っても仕方がない有様である。

 

このように映画の中で一貫して強調される、親と子供の対比的な態度が示すのは、子供の自立・成長に伴って家族は解体せざるを得ないという端的な事実である。

 

子供たちの態度は、決して親との不仲や、親との再会を不快に思っているということを意味しない。

ここで重要なのは、長男も長女も親元を離れて久しく、東京ですでにそれぞれの「生活」を築いているということである。

言い換えると、子供たちは、東京に暮らす自分自身や自分の家族を守っていくために、両親よりも自分自分の家族を優先せざるを得ない状況にあるということだ。

 


それを強調するために、映画では「東京という土地で必死に暮らしている子供たちの様子」をとても丁寧に描いている。

 

平山家・長男の幸一は開業医であり、周りの人間はその肩書きに社会的成功を信じて疑わないが、実際のところ下町の開業医では生活にゆとりがあると言えるほど稼ぎがなく、妻の力を借りながらなんとか医院を経営して暮らしている状態であることが窺える。だからこそ、幸一は両親とともに東京観光をする予定があったにも関わらず、それをキャンセルして急患を優先し、医者としての自分と、その延長にある家族の生活を守ろうとしていたのである。

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また、長女の志げが美容院で丁寧な接客をしたり、講習会を開いたりしている様子も実に細かく描かれているが、彼女も幸一と同様に、両親をもてなすために自分の生活を犠牲にすることが難しかったのである。

 

志げの素直な言葉の数々は、我々の心にザラリとした感触を残していく。梶村(2013)は、志げのカリカチュア化されたエゴイズムに言及し、「無邪気なまでの、呼吸するようなエゴイズム。考えるいとまもない速度で繰り出される小狡さ。無意識のうちに計算し、割り切り、便宜的に処理していく姿。苦笑いしながらも、誰もが受容せざるを得ない何かをわたしたちは彼女の姿に感じ取る。見る者は、やや戯画化されたその姿に大笑いし、そのあとにしばし沈黙するだろう。」と説明する。

さらには、「彼女に悪意があるわけではない。極端な利己心の持ち主でもない。ただ、生活を推進しているにすぎない。ある緊張感を持って自分の生活を守っているにすぎない。それは社会的責務のネットワークの中に生きる緊張感であり、おのれの生活を維持する経済的緊張感と言いなおしてもいい。それは、兄の幸一も共有する生活人の自然な緊張感だ。紀子も、三男の敬三も、末っ子の涼子も、誰もが黙って持つ緊張感である。」と付け加える。

 

鑑賞者である我々は、葬式が終わるとすぐに東京へ戻った長男や長女に対して、平山家の末っ子・涼子が「薄情だ」と憤る気持ちをもちろん理解することができるし、葬式後すぐに長女が母親の形見の話をしたり、三男がモリモリとご飯を食べたりするようなのが、なんとなくいやらしいと感じられる心だってある。


しかし一方で、彼らのように親元を離れてある程度自分の生活をしていると、涼子のように綺麗事ばかり言ってはいられなくなるということもわかっている。

 

子供たちが両親に冷淡な態度をとってしまっているのは、東京という大都市で日々を生き抜くために、常に緊張感を持って暮らすうえでは仕方のないことであり、突然田舎から出てきた両親を十分にもてなすような生活の隙間はなかったのである。

我々は、親元を離れ東京で必死に暮らす子供たちが、それぞれ守るべき生活を持っていることを理解するからこそ、エゴイズムを孕んだ数々の発言を許容し、共感する。

 

元々は家族という連帯の中で暮らしていた親と子供だったが、子供が成長して大人になっていくにつれて、子供は親から離れて、それぞれの生活を築いていくことになる。そういった、普遍的な家族の解体の中で、周吉ととみは、自然と孤立していくのである。

 


さて、老夫婦が熱海で感じた気まずさも、2人の孤独を紐解く鍵を握っている。

 


子供たちから突然プレゼントされた熱海旅行であったが、周吉ととみは、熱海の綺麗な景色や美味しい海の幸に大変満足し、旅行を楽しんでいた。そして2人は「朝起きたら熱海の静かな海を見に行こう」と約束し床に就いたのだが、その日は旅館に泊まっている若者たちが一晩中どんちゃん騒ぎを続けたせいで、なかなか寝つくことができないまま朝を迎えた。そんな元気な若者たちと対比される形で、熱海にいながら孤立する周吉ととみの姿が象徴的な映像で描かれている。

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ちなみに小野(2015)は、老夫婦の訪問地を「熱海」に設定しなければならない理由があったと説明している。小野によれば「この当時の熱海は、ゆっくりと長湯治をする人のための温泉地というよりは、手軽な一泊旅行の目的地として、新婚旅行や社員旅行に利用された。戦後日本の復興と経済発展のエネルギーを体現している場所で、『東京物語』のなかでも活き活きと描き出されているのは長期滞在をする歴史的な湯治場としての熱海ではなくて、日常から解放されて麻雀をしたり、酒を飲んだりする熱海なのだ」ということである。つまり、熱海とは若者の生に満ちたエネルギッシュな場所として存在しているのであり、生の終焉を迎えつつある周吉やとみにとっては、馴染むことが難しい場所だったのだ。そういった表現で、2人は熱海という場所から除け者にされてしまった。


またカメラワークに関して、周吉ととみが、寝不足の体で熱海の海を眺めながら「こんなとこは若いもんのくるところぢやァ」と話し合うシーンでは、哀愁漂う2人の小さな背中を見ることができる。広大な海を前にして、ちっぽけな存在に映る2人の姿は、孤独や孤立という表現が非常にしっくりくる。

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そして、2人が熱海旅行を予定よりも早く切り上げ、都内をさまよっているシーンでも、引きのカットが多用されることで、その哀しさが見事に表現されている。

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小津映画の特徴として、顔をアップにしたカットが多用され、否が応でも役者の表情に注目させられることが挙げられるが、本作品において老夫婦の孤立した悲しみを表現する際には、老年期のおぼつかない足取りや、丸まった小さい背中などを強調するために、全身を映すような引きのショットが多かったように思われる。

 

 

周吉・とみの2人は、子供たちが親の面倒を見ないことに対して「人情がない」と怒りをむきだしにしているというのではない。彼らは、受け入れがたい事実を受け止め、静かに納得していく努力をする。

そもそも、子供たちが両親よりも自分の生活を守ることに関して、小津は悪意を持って描くようなことをしていない。子供たちが独立の道を辿ることで、「親と子」という家族の関係が緩やかに解消されてゆき、親が親としてではなく、一人の人間として取り残されることに複雑な思いを抱える過程を丁寧にたどってゆく。むしろ、完全な悪者が物語の中に存在しないからこそ、より一層つらいのだ。

この映画は、子供が巣立ち、家族の形が変容していくさまを、親は哀しみ諦めとともにひたすら受容していくほかないことを明らかにする。一見情がないようにも思われる子供たちの振る舞いは、親のそばを離れて自活していく子供たちにとっては当たり前のことであり、親もいちいちそれを咎めたりするべきではないのだ。

子供はいつか親から離れていくものではあるが、それは万人にとって避けがたく普遍的なものであり、それゆえに、劇的にはなりえない千差万別の苦悩が存在すると言える。


これが、老年期を迎えた親の「孤独」や痛切さであり、小津が映画を通して巧みに描いているものなのである。

 


さて、次に②未亡人である紀子の孤独について触れる。

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この映画は、戦後の日本に暮らす人々を描いたものであるが、紀子は、平山家の次男である昌二と結婚したのち、その旦那を戦争で失い、未亡人となってしまった人である。

当時の日本には、同じ状況に置かれた女性も一定数存在していたのだろうが、戦争の残酷さ自体にはスポットが当てられず、戦争の爪痕だけが淡々と語られる。

昌二のいなくなった今、紀子は小さな会社で事務をしながら、狭いアパートで質素に暮らしている。彼女のアパートは、簡単な家具と昌二の写真があるだけで、飾り気がなく広さもない。そんななかに暮らす紀子を客観的に表すとすれば、戦争で人生を中断させられ、確かな居場所や地位を持たず、大都市東京にひとり浮遊する、寄る辺なき孤独な生活者でしかない。

そのような不安定な身分である紀子に、アイデンティティの揺らぎが生じるのは当然だと言えよう。

だからこそ、孤独な紀子が自らの尊厳を保つために、よりどころとしたのが、「平山家次男の嫁」という肩書きそれ自体なのではないかと考えられる。

東京を訪れた周吉・とみ夫婦を実の子供たちが邪険に扱う中、義理の娘である紀子だけが彼らを受け入れ、常に優しく接していた。実の子供たちが自分の生活を優先し両親の面倒を後回しにしていることで、紀子が仕事を休んでまで彼らをもてなす姿がより美しく映る。

夫の戦死から8年も経ち、互いに遠くに住んでいることを思えば、平山家と紀子の関係は、すでに薄いものであると言えるだろう。

それにも関わらず、紀子が異様なまでに周吉ととみをもてなす姿は、鑑賞者にある種の違和感を抱かせる。その現実と向き合った時、紀子という女性から「ただの優しい人」には収まらない、人間的な質量を感じることができる。

つまり、紀子の無償の愛には、どこか暗い影があるということなのである。

 


結局、「できすぎた嫁」と言える紀子の献身ぶりは、完全なる善意や優しさからではないことが、物語終盤で本人の口から明かされる。

もちろん、紀子は血縁者でないからこそ、義理の両親を無下に扱うことはできなかったのだと説明することもできる。しかしそれ以上に、紀子が中途半端な存在である自分自身から目を背け、亡き夫との絆に縋りつきたい、または自らの孤独を受容することから逃れたいという気持ちが、紀子を献身的にさせたのではないかと思われるのだ。

映画内では、独り身の紀子を心配して、とみや周吉が何度か再婚を促しているが、そのたびに紀子が複雑な表情を浮かべるのがわかる。紀子が、長女に家を追い出されたとみを泊めた時、このような会話が交わされる。

 

とみ「なァ紀さん、気を悪うされると困るんぢやけえど……昌二のう、死んでからもう八年にもなるのに、あんたがまだああして写真なんか飾つとるのを見ると、わたしァなんやらあんたが気の毒で……」

紀子「どうしてなんですの?」

とみ「あんたにァ今まで苦労のさせ通しで、このままぢや、わたしァすまんすまん思ふて……」

紀子「いいの、お母さま。あたし勝手にこうしてますの」

とみ「でもあんた、それぢやァあんまりのう……」

紀子「いいえ、いいんですの。あたし、このほうが気楽なんですの」

とみ「でもなァ、今はそうでも、だんだん年でもとつてくると、やつぱり一人ぢや淋しいけえのう」

紀子「いいんです。あたし年取らないことにきめてますから」

とみ「ええ人ぢやのう、あんたァ……」

紀子「(淡々と)ぢや、おやすみなさい」

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涙ぐむとみとは対照的に、微笑を浮かべて淡々と対応する紀子からは、どことなく気まずさがにじんでいる。それは、優しい紀子の行く末を案じて涙を流しながら再婚を勧めてくれるとみに対して、紀子がとみを騙しているようなうしろめたさを感じているからに違いない。

上記の会話から窺えるように、紀子自身は、夫との離別やそれによって失われた未来をあまり直視しないようにしているのである。

年を取らないことを決めている、という言葉通りに、紀子の部屋が時間の経過を封印しているかのようである。それは「平山家次男・昌二の嫁」という肩書きを失ったが最後、紀子が自身の孤独と向き合わざるを得ないからであり、孤独という事実との対峙を避けようとしているからである。

つまり、紀子が平山家に与える限りない優しさは、心の底から老夫婦や昌二を思ってのものだけではなく、自分のためでもあるということである。東京に単身で住まう紀子にとって、唯一と言っていいほどの「繋がり」が平山家なのであり、それに縋るほかないのだ。

ところで、紀子の両親などは「繋がり」に含まれないのかと疑問を感じる声も存在すると思う。紀子の家族について、詳細は明らかにされていないのだが、親戚と呼べる者はすでに全員亡くなっているのではないかと思われるポイントが所々に散りばめられている。それは、「戦火を免れた尾道とは対照的に、「戦火を免れなかった東京」の存在によって浮かび上がってくるものである。紀子の言葉遣いは、しばしば志げの下町言葉と対比させて説明されるのだが、おっとりとしてとても丁寧な標準語であるため、山手側に住む人間の言葉だと言われている。そこからわかるように、紀子は幼いころから東京に暮らしており、丸の内に勤める昌二と接点を持ったのも、東京だったと考えられる。つまり紀子は、東京に暮らす家族を戦争によって亡くしているのではないかと推察される。だからこそ、紀子にとって平山家との縁は、孤独から逃れうる唯一の道なのであり、何としても守りたいものだっただろう。紀子が誰とも結婚せずに、平山家の人間に親切に接するのは、平山家に認められるような立派な嫁として在ることで、自我を保つためなのである。

現代に比べて伝統的共同体の結びつきが重視された時代であったことを想像すれば、紀子の苦しみはより重みを増す。紀子は、自らの欲を隠しながら、周吉やとみに気に入られるような行いをして、実際にそれを褒められることで、うしろめたさを感じるのだろう。

そして、とみが亡くなってから、再度紀子に再婚を促した周吉に対し、紀子はついに本心を吐露する。


周吉「もう昌二のこたア忘れて貰ふてええんぢや。いつまでもあんたにそのままでおられると、却ってこつちが心苦しうなる。—— 困るんぢや。」

紀子「あたくし狡いんです。お父様やお母様が思つてらつしやるほど、さういつもいつも昌二さんのことばつかり考えているわけぢやありません」

紀子「このごろ、思ひ出さない日さへあるんです。忘れてる日が多いんです。あたくし、いつまでもこのままぢやゐられないやうな気もするんです。このままかうして一人でゐたら、一体どうなるんだらうなんて、ふッと夜中に考へたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとても寂しいんです。どこか心の隅で何かを待つてるんです——狡いんです」

周吉「いやア、狡うはない」

紀子「いいえ、狡いんです。さういふことお母さまには申し上げられなかつたんです。」

周吉「ええんぢやよ。それで。——やつぱりあんはええ人ぢやよ、正直で……」

紀子「とんでもない」

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紀子は、孤独という現実から目を背けてきた自分と、将来に対する不安を告白する。彼女が自分のことを「狡い」というのは、戦争を生き残った人間として生活する中で、戦死した昌二(や紀子の家族)を忘れることもあるという狡さや、偽りの優しさで平山家と繋がりを維持することで、自らも家族の一員であろうとする狡さによるものである。つまり、周吉やとみに対する紀子の無償の愛は、自身の孤独を逃れるための打算的なものであったと明かしたのである。

もちろん、こうして紀子が真実を明かしたのは、平山家を騙すような行為に耐えられなくなったこともあるだろうが、とみの死によって自らの孤独や死が身近に感じられるようになり不安が増したことは、ひとつ大きなきっかけとなっているだろう。家族の連帯をほとんど失っている紀子は、死を迎えた自分がどのような道を辿るのか、とみの死を通して強く意識したに違いない。とみの死によって平山の一族は全員尾道に集まり、葬儀を行ったが、独り身の紀子の葬儀には、いったい誰が駆けつけるのだろうか。喪主は誰になるのだろうか。また、紀子は最終的に誰の墓に入るのだろうか。そういった、死に関するさまざまな想像が、紀子の孤独をより現実にしたに違いない。また、葬儀後の精進落としで、一族が家族の思い出話に浸る中、所詮よそ者の紀子は全く会話に入れず、強い疎外感を覚えたはずである。平山家に縋りつこうとすればするほど、紀子は孤独を感じることとなる。そんなやり取りに辟易してしまったからこそ、紀子は周吉についに本心を明かしたのだろう。しかし周吉は、紀子の優しさを賞賛し、こんなに素晴らしい子は別の家のお嫁にもすぐに行けるだろうと言って、紀子を平山の一族から追い出そうとする。紀子に対し、救いの手を差し伸べるのではなく、平山の家を出て幸せになるようにと伝え、「平山家」という共同体から離脱することを促すのである。それにより紀子は言葉を失って泣き出してしまう。紀子の涙には、最後の繋がりであった平山家との縁が失われてしまったことに対する想いが含まれていると考えていいだろう。周吉にとっては、孤独な紀子を案じての提案であったが、平山との繋がりに縋りつこうとする紀子にとっては、非常に残酷な言葉として映ったはずだ。

さらには、周吉が紀子との別れの際に、とみの形見として時計を渡すのも意味深である。昌二の死から時を進めないようにと意識し、自らの孤独と向き合うことを避けてきた紀子に、時の進みを伝える役割のある「時計」を渡すのである。

これはきっと、紀子よりも長い時間を生きている周吉なりの、人生との向き合い方に関するメッセージなのだろう。人間は、受け入れがたい現実を含め、人生のすべてを受容して、時には自分を騙しながらも、折り合いをつける努力をしていく必要がある周吉は、過ぎてゆく時間から目をそらす紀子に、あらためて時間を意識させ、孤独と向き合うきっかけを与えたと捉えることができる。

 


最後に、③父・周吉の孤独について触れる。

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周吉は、とみの死によって一人取り残されることとなる、平山家の大黒柱である。周吉の孤独は、わかりやすい言葉や映像で示されるわけではないが、確かにそこに存在する。とみの死を見届けた後、瀬戸内海を昇る朝日を見て、周吉は

「あア、綺麗な夜明けだつたよ……今日も暑うなるぞ……」

と、穏やかな声でつぶやく。

「妻の死」「普段通りの夜明け」・「普段通りの暑さ」が画面内に同居するとき、我々は、改めて人間の死の普遍性に気づかされる。周吉は、妻の死を特別な出来事としてではなく、普遍的な死として受け止めていく過程を通して、自らの孤独を和らげようとするのである。


またラストシーンにて、とみが亡くなって周吉と隣家の細君が言葉を交わすところでは、会話に軽さがあるところに注目したい。

細君「皆さんお帰りになって、お寂しうなりましたなア」

周吉「いやア……」

細君「ほんとに急なこつてしたなア……」

周吉「いやア……(妻は)気のきかん奴でしたが、こんなことなら、生きとるうちにもつと優しうしといてやりやアよかつたと思ひますよ……」

細君「なあ」

周吉「一人になると急に日が永うなりますわい……」

細君「全くなア……お寂しいこつてすなア……」

周吉「いやア……」

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語られる言葉の重さとは裏腹に、軽快に会話が進んでいく。明るい気分で尾道から東京に発ったあの日と同じように、妻の死についても、隣人と笑顔で言葉を交わすのである。これは、決して隣人が薄情で鈍感な人間だということを意味しない。むしろ隣人は、配慮にあふれた女性だと言える。

周吉の抱える喪失感や孤独、老いの重さは、決して感情的に表現されないが、そこに確かに存在していることを忘れてはいけない。

鑑賞者が周吉の境遇に思いを巡らせたとき、周吉が直面している、人生を送る上では避けがたくつらいことのすべてが、鑑賞者にも重くのしかかるはずである。しかし、それらをあえて軽く表現することは、人間の尊厳の真実を描いているように思う。

人間は、年を重ねていくにつれて、自らがどうすることもできない重さを、軽く転化していく術を身に付けていくものである。それは、人生の受容において確実に必要な段階である。二人の会話も、妻の死という重く苦しい事実をなんとか軽く表現する思いやりによって成り立っている。その軽さが、むしろ周吉の孤独という重い事実を突きつけてくるのである。

そして、映画の終盤には、一人ぼっちになった周吉が、海のほうを見て悄然としている姿が映し出される。そこで周吉の喉仏がグッと動くところに視線が行くのだが、この喉仏の動きは、我々にを語りかける。小野(2015)によると、「周吉の喉仏の動きをキャメラが注視するが、『喉仏』が遺骨において重要となるように、そこには死の影もつきまとう。喉仏が飛び出すのは成人男性の特徴でもあり、とみが去っていくことへの複雑な気持ちを代弁する道具となっている。喉『仏』と呼ばれるのは骨を焼いたときに喉の部分に残るのが仏の形をしているからだとされている。実際には軟骨なので焼けてしまい、仏の姿と錯覚されてきたのは頸椎なのだが、それでも人間の喉に仏が宿っているという考えは、死人を『仏』と呼ぶ私たちにとってなじみやすいものだろう。」ということである。この映画では、老年期にある周吉の顔や喉仏を画面いっぱいに映すことで、老いが迫ってくることを感じさせる。そして、わかりやすく表現された老いや死の存在が、周吉の孤独を際立たせるのである。

 


東京物語』は、有限の時間を生きる人間が、孤独の中で人生と折り合いをつけ、受け入れる過程を丁寧に描く作品である。制作から半世紀以上経った今でも、普遍的に存在する人間の悩みを描いているからこそ、この作品は名作たり得るのである。

 

 

 

【参考文献】

小野俊太郎(2015)「『東京物語』と日本人」、松柏社

梶原啓二(2013)「『東京物語』と小津安二郎 なぜ世界はベスト1に選んだのか」、平凡社

田中真澄編(2020)「小津安二郎東京物語』ほか」、みすず書房

竹林出(2016)「映画監督小津安二郎の軌跡 芸術家として、認識者として」、風濤社

蓮實重彦(2016)「監督 小津安二郎〔増補決定版〕」、ちくま学芸文庫

年末暇すぎワロタ

年末ということで実家に来てるんだけど、暇すぎるので日記的なブログでも書きます。

 

今年は祖母が亡くなったので喪中でして。いつもだったら親戚が一同に会して、ハチャメチャに盛大に正月を祝うのですが、今年は「祝い!めでたい!」的なノリはダメらしいので、そういう会を開かないことになっています(私自身はあんまり宗教に詳しくないんだけど、親がそんなことを言ってたので伝聞で失礼!)

 

まあ、喪中とか関係なく、ここ数年はコロナ問題があるしね。私のような東京🗼に住む若者が田舎に現れるのなんて、親戚のおじさんおばさんにとってはかなり怖いだろうし…

 

まあ、そういうわけで今年の正月は、親戚をもてなす祝い事の準備に追われることなく、グータラ過ごしているわけです。

ヤッター!!!!!!!!

こたつって最高!!!!!!!

 

 

例年なら、年末年始とはいえこたつに入る余裕はないんよね。というのも、うちは

晦日のお昼は年越しそば、

夜はすき焼き、

そして元旦にはおせちに雑煮を食べて……

という感じで結構大忙しなので……

 

特に、ちえりさんの家は、すべての雑事をオンナがやらなきゃいけないようになってるので、年末年始は常に忙しいんだ😢ちえりさんは、昔は子供だったかもしれないけど、今は流石に大きくなって家のことを手伝える年齢になったので、重要な働き手として駆り出されている感じ……

 

こういうの、ちょっと前時代的だよね。いっつもいっつも、男たちがこたつでぬくぬくしながら大宴会してるなか、私やお母さん・叔母さんは、冷たい水に手を晒してご飯を作って・お皿洗って・お酌させられて……という感じなのです。家のために働かされるオンナという図が、ホントに悲しくて泣きたくなってくる。こんな家……!こんな家!!!!!!!!

 

すまん話が逸れた!

 

 

そうそう、年末があまりにも暇だからブログを書き始めたと冒頭に述べたけれども。今年2021年の大晦日はですね、例年のように男どものどんちゃん騒ぎ(+女を格下に見下げてこき使う)イベントがない代わりに、祖母の四十九日でしたので、お坊さんがウチに来て、お経を読んでくださいました。

 

私はいわゆる法事的なものをあまり経験したことがない人間なので、朝からソワソワしていたんだけど、いざお坊さんが来て始まってみると、マジでなんてことはなかった。よくわかってないけど、法事というのはただお経を読んでくれるイベントというだけなので、スマホで「四十九日 マナー」とかいちいち調べて対策しなくても大丈夫だった。法事がよくわからん!て人も大丈夫だと思います、ほんと安心してください。

 

そういえば、その法事中に30分以上正座してたら立てなくなるやつを初めてやってしまったんだよな。お坊さんのお見送りの瞬間、立ち上がるどころか尻餅をついたまま足が動かせなくなって、2分くらいその場にいたっていう。

情けね〜〜って感じだった。夏の終わりの蝉みたいな感じでさ、無様にひっくり返って開脚したまま、なんか動けなくなったんだ。ホントに人間って足が痺れると動けなくなるもんなんだね、ビックリした。

私はお習字を結構しっかり習っていた人間なので、正直正座に関しては耐性があると思い込んでたけど、マジで全然ダメだった。

ていうか、こんなに身体に悪い座り方を生み出して伝統にすなよ、というお気持ちになってしまったな……

 

あとね、今回お経が始まる前に、お経の歌詞カード?みたいな冊子が配られたんだけど、その歌詞カードを見ながらお経を耳に入れることができて、なんとなくお経タイムを有意義なものにできた。

お経歌詞カード、みんな見たことある?私が配られたお経歌詞カードだけかもしれないんだけど、あれって漢字の読み方だけじゃなくて、その単語の音の上がり下がりとか、チーンって鳴らすタイミングとかも書いてあったりするから楽しいんだよ。

今回の読経のおかげで、結構音は覚えられた感じがする。紙には、パッと見でわかるように⤴︎や⤵︎で音が表現してあるんだけど、中国語の⤴︎や⤵︎とはまた全然音が違ってて……そこだけは難しかった。でも、意外と音を覚えちゃえばお経って読めそうじゃないか!と気づけたのはなんか良かった。まあ、覚えたからと言って寺の人になるつもりはないけども。

 

そして最後、お経を読み終わって家を出て行ったお寺のお坊さんが、有名な外車に乗って走り去っていったので、少し笑ってしまった。お寺さんって景気良いんだな〜(笑)と思って。

俺が現代の小津安二郎だったなら、この、感動的な(?)法事を済ませた後に外車で景気良く走り去っていくお坊さんの映像を絶対に挟むだろうなという感じ。(俺が現代の小津安二郎ってなんの仮定???)

 

さて、法事を済ませて年越し蕎麦を食べて、そこからはずっとこたつでグータラしてた。うちの家は、大晦日の夜は何かしらのご馳走が出るので、お昼に年越し蕎麦を出してしまう感じなんだけど、あんまり世間でそのような慣習はないらしいと知ってまた賢くなった。確かに年越し蕎麦って名前なのにだいぶフライングだなとは思ってたけど。

 

それにしても、こんなに何もやることのない状態って逆にストレスになりますね。「なんかしなきゃ!何にも浮かばないけど!」みたいな感じになり、急いでブログを書いていました。

 

 

お風呂に入ってお菓子を食べて歯を磨いてダラダラしていたらこんな時間なので、今日はこの辺で!!

みなさん!!今年一年ありがとうございました!!

また来年もよろしくお願いします〜!!!