ちえりちゃんのラビリンス

浪人失敗世間知らずマンの書き殴り

小津安二郎『東京物語』における孤独の表現について

タイトルにある通りなんですが、東京物語』における孤独の表現について、自分なりに考えたことをまとめました。

まとめましたというか、「映画内で描かれる孤独についてレポート書け!」って学校から言われたので、私の好きな東京物語を選んで、結構やっつけで書いてしまったんですが…

ちょうど1/6に、池袋のほうで『東京物語』を観てきたばかりなので、せっかくだからブログにベタッと載せちゃう!!

一応、何度か読み直して加筆修正して、ブログに載せられるぐらいの文章にしたつもりなんですが…!!もし間違ってるところなどあればじゃんじゃか教えてください!!

 

ちなみに、見る人には不親切だけどあらすじはカットしちゃいました✂️

ストーリーがわからんよという人は自分で検索するなどしてー!!

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

小津安二郎東京物語』における孤独の表現について

 

家族が緩やかに解体していくストーリーの中で、特に意識されるのは、①老年夫婦の孤立 や、②未亡人紀子の孤独③父・周吉の孤独である。本レポートでは、この三様の孤独について論じる。

 

まずは①老年夫婦の孤立について考察する。

すでに60歳を超えた老夫婦の周吉・とみの孤立は、子供たちとの関係、また熱海での気まずさのなかから浮かび上がってくる。

 

まず映画前半で、老夫婦が子供たちとの再会を喜ぶのとは対照的に、子供たちが親をお荷物扱いする様子に注目する。

久しぶりに子供たちに会えて喜ぶとみは「やっぱり長生きはするもんじゃのう」と満面の笑顔で息子や娘たちに話しかけ、喜びを露わにしている。しかし、親をもてなす側である子供は、実際のところ親のいないところで親の文句ばかり口にしている描写が何度も挟まれる。

f:id:cheric:20220108212003j:image

「どうせ4、5日はこっち(東京)にいるでしょ」

「(お母さんたちなんて東京の高級なお菓子じゃなくて)おせんべいで十分!」

「お父さんとお母さん、いつまで東京にいるのかしら…」

と口にするのは長女の志げである。彼女は、突然東京に現れたお父さん・お母さんに対して笑顔で応対し、ときに昔話に花を咲かせたりするのだが、ふとした瞬間に本音を漏らす。親たちがいなくなった後、志げが素直に愚痴をこぼすシーンが映画では繰り返し登場する。

また長男の幸一も、志げほどハッキリと言葉にはしない(或いはできない)ものの、志げの強い口調に何度も同調しており、両親の来訪に内心困っていることが窺える。

 

結局長男も長女も、東京滞在の最初の数日は両親を必死にもてなし優しく接していたが、時間が経つにつれ自分の仕事を優先するようになってゆく。これは第三者からすれば、せっかく自分達に会いにきてくれた両親に対して酷い態度をとっていると受け取っても仕方がない有様である。

 

このように映画の中で一貫して強調される、親と子供の対比的な態度が示すのは、子供の自立・成長に伴って家族は解体せざるを得ないという端的な事実である。

 

子供たちの態度は、決して親との不仲や、親との再会を不快に思っているということを意味しない。

ここで重要なのは、長男も長女も親元を離れて久しく、東京ですでにそれぞれの「生活」を築いているということである。

言い換えると、子供たちは、東京に暮らす自分自身や自分の家族を守っていくために、両親よりも自分自分の家族を優先せざるを得ない状況にあるということだ。

 


それを強調するために、映画では「東京という土地で必死に暮らしている子供たちの様子」をとても丁寧に描いている。

 

平山家・長男の幸一は開業医であり、周りの人間はその肩書きに社会的成功を信じて疑わないが、実際のところ下町の開業医では生活にゆとりがあると言えるほど稼ぎがなく、妻の力を借りながらなんとか医院を経営して暮らしている状態であることが窺える。だからこそ、幸一は両親とともに東京観光をする予定があったにも関わらず、それをキャンセルして急患を優先し、医者としての自分と、その延長にある家族の生活を守ろうとしていたのである。

f:id:cheric:20220108212105j:image

 

また、長女の志げが美容院で丁寧な接客をしたり、講習会を開いたりしている様子も実に細かく描かれているが、彼女も幸一と同様に、両親をもてなすために自分の生活を犠牲にすることが難しかったのである。

 

志げの素直な言葉の数々は、我々の心にザラリとした感触を残していく。梶村(2013)は、志げのカリカチュア化されたエゴイズムに言及し、「無邪気なまでの、呼吸するようなエゴイズム。考えるいとまもない速度で繰り出される小狡さ。無意識のうちに計算し、割り切り、便宜的に処理していく姿。苦笑いしながらも、誰もが受容せざるを得ない何かをわたしたちは彼女の姿に感じ取る。見る者は、やや戯画化されたその姿に大笑いし、そのあとにしばし沈黙するだろう。」と説明する。

さらには、「彼女に悪意があるわけではない。極端な利己心の持ち主でもない。ただ、生活を推進しているにすぎない。ある緊張感を持って自分の生活を守っているにすぎない。それは社会的責務のネットワークの中に生きる緊張感であり、おのれの生活を維持する経済的緊張感と言いなおしてもいい。それは、兄の幸一も共有する生活人の自然な緊張感だ。紀子も、三男の敬三も、末っ子の涼子も、誰もが黙って持つ緊張感である。」と付け加える。

 

鑑賞者である我々は、葬式が終わるとすぐに東京へ戻った長男や長女に対して、平山家の末っ子・涼子が「薄情だ」と憤る気持ちをもちろん理解することができるし、葬式後すぐに長女が母親の形見の話をしたり、三男がモリモリとご飯を食べたりするようなのが、なんとなくいやらしいと感じられる心だってある。


しかし一方で、彼らのように親元を離れてある程度自分の生活をしていると、涼子のように綺麗事ばかり言ってはいられなくなるということもわかっている。

 

子供たちが両親に冷淡な態度をとってしまっているのは、東京という大都市で日々を生き抜くために、常に緊張感を持って暮らすうえでは仕方のないことであり、突然田舎から出てきた両親を十分にもてなすような生活の隙間はなかったのである。

我々は、親元を離れ東京で必死に暮らす子供たちが、それぞれ守るべき生活を持っていることを理解するからこそ、エゴイズムを孕んだ数々の発言を許容し、共感する。

 

元々は家族という連帯の中で暮らしていた親と子供だったが、子供が成長して大人になっていくにつれて、子供は親から離れて、それぞれの生活を築いていくことになる。そういった、普遍的な家族の解体の中で、周吉ととみは、自然と孤立していくのである。

 


さて、老夫婦が熱海で感じた気まずさも、2人の孤独を紐解く鍵を握っている。

 


子供たちから突然プレゼントされた熱海旅行であったが、周吉ととみは、熱海の綺麗な景色や美味しい海の幸に大変満足し、旅行を楽しんでいた。そして2人は「朝起きたら熱海の静かな海を見に行こう」と約束し床に就いたのだが、その日は旅館に泊まっている若者たちが一晩中どんちゃん騒ぎを続けたせいで、なかなか寝つくことができないまま朝を迎えた。そんな元気な若者たちと対比される形で、熱海にいながら孤立する周吉ととみの姿が象徴的な映像で描かれている。

f:id:cheric:20220108214735j:image


ちなみに小野(2015)は、老夫婦の訪問地を「熱海」に設定しなければならない理由があったと説明している。小野によれば「この当時の熱海は、ゆっくりと長湯治をする人のための温泉地というよりは、手軽な一泊旅行の目的地として、新婚旅行や社員旅行に利用された。戦後日本の復興と経済発展のエネルギーを体現している場所で、『東京物語』のなかでも活き活きと描き出されているのは長期滞在をする歴史的な湯治場としての熱海ではなくて、日常から解放されて麻雀をしたり、酒を飲んだりする熱海なのだ」ということである。つまり、熱海とは若者の生に満ちたエネルギッシュな場所として存在しているのであり、生の終焉を迎えつつある周吉やとみにとっては、馴染むことが難しい場所だったのだ。そういった表現で、2人は熱海という場所から除け者にされてしまった。


またカメラワークに関して、周吉ととみが、寝不足の体で熱海の海を眺めながら「こんなとこは若いもんのくるところぢやァ」と話し合うシーンでは、哀愁漂う2人の小さな背中を見ることができる。広大な海を前にして、ちっぽけな存在に映る2人の姿は、孤独や孤立という表現が非常にしっくりくる。

f:id:cheric:20220108214757j:image

そして、2人が熱海旅行を予定よりも早く切り上げ、都内をさまよっているシーンでも、引きのカットが多用されることで、その哀しさが見事に表現されている。

f:id:cheric:20220108214943j:image


小津映画の特徴として、顔をアップにしたカットが多用され、否が応でも役者の表情に注目させられることが挙げられるが、本作品において老夫婦の孤立した悲しみを表現する際には、老年期のおぼつかない足取りや、丸まった小さい背中などを強調するために、全身を映すような引きのショットが多かったように思われる。

 

 

周吉・とみの2人は、子供たちが親の面倒を見ないことに対して「人情がない」と怒りをむきだしにしているというのではない。彼らは、受け入れがたい事実を受け止め、静かに納得していく努力をする。

そもそも、子供たちが両親よりも自分の生活を守ることに関して、小津は悪意を持って描くようなことをしていない。子供たちが独立の道を辿ることで、「親と子」という家族の関係が緩やかに解消されてゆき、親が親としてではなく、一人の人間として取り残されることに複雑な思いを抱える過程を丁寧にたどってゆく。むしろ、完全な悪者が物語の中に存在しないからこそ、より一層つらいのだ。

この映画は、子供が巣立ち、家族の形が変容していくさまを、親は哀しみ諦めとともにひたすら受容していくほかないことを明らかにする。一見情がないようにも思われる子供たちの振る舞いは、親のそばを離れて自活していく子供たちにとっては当たり前のことであり、親もいちいちそれを咎めたりするべきではないのだ。

子供はいつか親から離れていくものではあるが、それは万人にとって避けがたく普遍的なものであり、それゆえに、劇的にはなりえない千差万別の苦悩が存在すると言える。


これが、老年期を迎えた親の「孤独」や痛切さであり、小津が映画を通して巧みに描いているものなのである。

 


さて、次に②未亡人である紀子の孤独について触れる。

f:id:cheric:20220108215019j:image

この映画は、戦後の日本に暮らす人々を描いたものであるが、紀子は、平山家の次男である昌二と結婚したのち、その旦那を戦争で失い、未亡人となってしまった人である。

当時の日本には、同じ状況に置かれた女性も一定数存在していたのだろうが、戦争の残酷さ自体にはスポットが当てられず、戦争の爪痕だけが淡々と語られる。

昌二のいなくなった今、紀子は小さな会社で事務をしながら、狭いアパートで質素に暮らしている。彼女のアパートは、簡単な家具と昌二の写真があるだけで、飾り気がなく広さもない。そんななかに暮らす紀子を客観的に表すとすれば、戦争で人生を中断させられ、確かな居場所や地位を持たず、大都市東京にひとり浮遊する、寄る辺なき孤独な生活者でしかない。

そのような不安定な身分である紀子に、アイデンティティの揺らぎが生じるのは当然だと言えよう。

だからこそ、孤独な紀子が自らの尊厳を保つために、よりどころとしたのが、「平山家次男の嫁」という肩書きそれ自体なのではないかと考えられる。

東京を訪れた周吉・とみ夫婦を実の子供たちが邪険に扱う中、義理の娘である紀子だけが彼らを受け入れ、常に優しく接していた。実の子供たちが自分の生活を優先し両親の面倒を後回しにしていることで、紀子が仕事を休んでまで彼らをもてなす姿がより美しく映る。

夫の戦死から8年も経ち、互いに遠くに住んでいることを思えば、平山家と紀子の関係は、すでに薄いものであると言えるだろう。

それにも関わらず、紀子が異様なまでに周吉ととみをもてなす姿は、鑑賞者にある種の違和感を抱かせる。その現実と向き合った時、紀子という女性から「ただの優しい人」には収まらない、人間的な質量を感じることができる。

つまり、紀子の無償の愛には、どこか暗い影があるということなのである。

 


結局、「できすぎた嫁」と言える紀子の献身ぶりは、完全なる善意や優しさからではないことが、物語終盤で本人の口から明かされる。

もちろん、紀子は血縁者でないからこそ、義理の両親を無下に扱うことはできなかったのだと説明することもできる。しかしそれ以上に、紀子が中途半端な存在である自分自身から目を背け、亡き夫との絆に縋りつきたい、または自らの孤独を受容することから逃れたいという気持ちが、紀子を献身的にさせたのではないかと思われるのだ。

映画内では、独り身の紀子を心配して、とみや周吉が何度か再婚を促しているが、そのたびに紀子が複雑な表情を浮かべるのがわかる。紀子が、長女に家を追い出されたとみを泊めた時、このような会話が交わされる。

 

とみ「なァ紀さん、気を悪うされると困るんぢやけえど……昌二のう、死んでからもう八年にもなるのに、あんたがまだああして写真なんか飾つとるのを見ると、わたしァなんやらあんたが気の毒で……」

紀子「どうしてなんですの?」

とみ「あんたにァ今まで苦労のさせ通しで、このままぢや、わたしァすまんすまん思ふて……」

紀子「いいの、お母さま。あたし勝手にこうしてますの」

とみ「でもあんた、それぢやァあんまりのう……」

紀子「いいえ、いいんですの。あたし、このほうが気楽なんですの」

とみ「でもなァ、今はそうでも、だんだん年でもとつてくると、やつぱり一人ぢや淋しいけえのう」

紀子「いいんです。あたし年取らないことにきめてますから」

とみ「ええ人ぢやのう、あんたァ……」

紀子「(淡々と)ぢや、おやすみなさい」

f:id:cheric:20220108215104j:image


涙ぐむとみとは対照的に、微笑を浮かべて淡々と対応する紀子からは、どことなく気まずさがにじんでいる。それは、優しい紀子の行く末を案じて涙を流しながら再婚を勧めてくれるとみに対して、紀子がとみを騙しているようなうしろめたさを感じているからに違いない。

上記の会話から窺えるように、紀子自身は、夫との離別やそれによって失われた未来をあまり直視しないようにしているのである。

年を取らないことを決めている、という言葉通りに、紀子の部屋が時間の経過を封印しているかのようである。それは「平山家次男・昌二の嫁」という肩書きを失ったが最後、紀子が自身の孤独と向き合わざるを得ないからであり、孤独という事実との対峙を避けようとしているからである。

つまり、紀子が平山家に与える限りない優しさは、心の底から老夫婦や昌二を思ってのものだけではなく、自分のためでもあるということである。東京に単身で住まう紀子にとって、唯一と言っていいほどの「繋がり」が平山家なのであり、それに縋るほかないのだ。

ところで、紀子の両親などは「繋がり」に含まれないのかと疑問を感じる声も存在すると思う。紀子の家族について、詳細は明らかにされていないのだが、親戚と呼べる者はすでに全員亡くなっているのではないかと思われるポイントが所々に散りばめられている。それは、「戦火を免れた尾道とは対照的に、「戦火を免れなかった東京」の存在によって浮かび上がってくるものである。紀子の言葉遣いは、しばしば志げの下町言葉と対比させて説明されるのだが、おっとりとしてとても丁寧な標準語であるため、山手側に住む人間の言葉だと言われている。そこからわかるように、紀子は幼いころから東京に暮らしており、丸の内に勤める昌二と接点を持ったのも、東京だったと考えられる。つまり紀子は、東京に暮らす家族を戦争によって亡くしているのではないかと推察される。だからこそ、紀子にとって平山家との縁は、孤独から逃れうる唯一の道なのであり、何としても守りたいものだっただろう。紀子が誰とも結婚せずに、平山家の人間に親切に接するのは、平山家に認められるような立派な嫁として在ることで、自我を保つためなのである。

現代に比べて伝統的共同体の結びつきが重視された時代であったことを想像すれば、紀子の苦しみはより重みを増す。紀子は、自らの欲を隠しながら、周吉やとみに気に入られるような行いをして、実際にそれを褒められることで、うしろめたさを感じるのだろう。

そして、とみが亡くなってから、再度紀子に再婚を促した周吉に対し、紀子はついに本心を吐露する。


周吉「もう昌二のこたア忘れて貰ふてええんぢや。いつまでもあんたにそのままでおられると、却ってこつちが心苦しうなる。—— 困るんぢや。」

紀子「あたくし狡いんです。お父様やお母様が思つてらつしやるほど、さういつもいつも昌二さんのことばつかり考えているわけぢやありません」

紀子「このごろ、思ひ出さない日さへあるんです。忘れてる日が多いんです。あたくし、いつまでもこのままぢやゐられないやうな気もするんです。このままかうして一人でゐたら、一体どうなるんだらうなんて、ふッと夜中に考へたりすることがあるんです。一日一日が何事もなく過ぎてゆくのがとても寂しいんです。どこか心の隅で何かを待つてるんです——狡いんです」

周吉「いやア、狡うはない」

紀子「いいえ、狡いんです。さういふことお母さまには申し上げられなかつたんです。」

周吉「ええんぢやよ。それで。——やつぱりあんはええ人ぢやよ、正直で……」

紀子「とんでもない」

f:id:cheric:20220108215046j:image

紀子は、孤独という現実から目を背けてきた自分と、将来に対する不安を告白する。彼女が自分のことを「狡い」というのは、戦争を生き残った人間として生活する中で、戦死した昌二(や紀子の家族)を忘れることもあるという狡さや、偽りの優しさで平山家と繋がりを維持することで、自らも家族の一員であろうとする狡さによるものである。つまり、周吉やとみに対する紀子の無償の愛は、自身の孤独を逃れるための打算的なものであったと明かしたのである。

もちろん、こうして紀子が真実を明かしたのは、平山家を騙すような行為に耐えられなくなったこともあるだろうが、とみの死によって自らの孤独や死が身近に感じられるようになり不安が増したことは、ひとつ大きなきっかけとなっているだろう。家族の連帯をほとんど失っている紀子は、死を迎えた自分がどのような道を辿るのか、とみの死を通して強く意識したに違いない。とみの死によって平山の一族は全員尾道に集まり、葬儀を行ったが、独り身の紀子の葬儀には、いったい誰が駆けつけるのだろうか。喪主は誰になるのだろうか。また、紀子は最終的に誰の墓に入るのだろうか。そういった、死に関するさまざまな想像が、紀子の孤独をより現実にしたに違いない。また、葬儀後の精進落としで、一族が家族の思い出話に浸る中、所詮よそ者の紀子は全く会話に入れず、強い疎外感を覚えたはずである。平山家に縋りつこうとすればするほど、紀子は孤独を感じることとなる。そんなやり取りに辟易してしまったからこそ、紀子は周吉についに本心を明かしたのだろう。しかし周吉は、紀子の優しさを賞賛し、こんなに素晴らしい子は別の家のお嫁にもすぐに行けるだろうと言って、紀子を平山の一族から追い出そうとする。紀子に対し、救いの手を差し伸べるのではなく、平山の家を出て幸せになるようにと伝え、「平山家」という共同体から離脱することを促すのである。それにより紀子は言葉を失って泣き出してしまう。紀子の涙には、最後の繋がりであった平山家との縁が失われてしまったことに対する想いが含まれていると考えていいだろう。周吉にとっては、孤独な紀子を案じての提案であったが、平山との繋がりに縋りつこうとする紀子にとっては、非常に残酷な言葉として映ったはずだ。

さらには、周吉が紀子との別れの際に、とみの形見として時計を渡すのも意味深である。昌二の死から時を進めないようにと意識し、自らの孤独と向き合うことを避けてきた紀子に、時の進みを伝える役割のある「時計」を渡すのである。

これはきっと、紀子よりも長い時間を生きている周吉なりの、人生との向き合い方に関するメッセージなのだろう。人間は、受け入れがたい現実を含め、人生のすべてを受容して、時には自分を騙しながらも、折り合いをつける努力をしていく必要がある周吉は、過ぎてゆく時間から目をそらす紀子に、あらためて時間を意識させ、孤独と向き合うきっかけを与えたと捉えることができる。

 


最後に、③父・周吉の孤独について触れる。

f:id:cheric:20220108215203j:image

周吉は、とみの死によって一人取り残されることとなる、平山家の大黒柱である。周吉の孤独は、わかりやすい言葉や映像で示されるわけではないが、確かにそこに存在する。とみの死を見届けた後、瀬戸内海を昇る朝日を見て、周吉は

「あア、綺麗な夜明けだつたよ……今日も暑うなるぞ……」

と、穏やかな声でつぶやく。

「妻の死」「普段通りの夜明け」・「普段通りの暑さ」が画面内に同居するとき、我々は、改めて人間の死の普遍性に気づかされる。周吉は、妻の死を特別な出来事としてではなく、普遍的な死として受け止めていく過程を通して、自らの孤独を和らげようとするのである。


またラストシーンにて、とみが亡くなって周吉と隣家の細君が言葉を交わすところでは、会話に軽さがあるところに注目したい。

細君「皆さんお帰りになって、お寂しうなりましたなア」

周吉「いやア……」

細君「ほんとに急なこつてしたなア……」

周吉「いやア……(妻は)気のきかん奴でしたが、こんなことなら、生きとるうちにもつと優しうしといてやりやアよかつたと思ひますよ……」

細君「なあ」

周吉「一人になると急に日が永うなりますわい……」

細君「全くなア……お寂しいこつてすなア……」

周吉「いやア……」

f:id:cheric:20220108215214j:image

語られる言葉の重さとは裏腹に、軽快に会話が進んでいく。明るい気分で尾道から東京に発ったあの日と同じように、妻の死についても、隣人と笑顔で言葉を交わすのである。これは、決して隣人が薄情で鈍感な人間だということを意味しない。むしろ隣人は、配慮にあふれた女性だと言える。

周吉の抱える喪失感や孤独、老いの重さは、決して感情的に表現されないが、そこに確かに存在していることを忘れてはいけない。

鑑賞者が周吉の境遇に思いを巡らせたとき、周吉が直面している、人生を送る上では避けがたくつらいことのすべてが、鑑賞者にも重くのしかかるはずである。しかし、それらをあえて軽く表現することは、人間の尊厳の真実を描いているように思う。

人間は、年を重ねていくにつれて、自らがどうすることもできない重さを、軽く転化していく術を身に付けていくものである。それは、人生の受容において確実に必要な段階である。二人の会話も、妻の死という重く苦しい事実をなんとか軽く表現する思いやりによって成り立っている。その軽さが、むしろ周吉の孤独という重い事実を突きつけてくるのである。

そして、映画の終盤には、一人ぼっちになった周吉が、海のほうを見て悄然としている姿が映し出される。そこで周吉の喉仏がグッと動くところに視線が行くのだが、この喉仏の動きは、我々にを語りかける。小野(2015)によると、「周吉の喉仏の動きをキャメラが注視するが、『喉仏』が遺骨において重要となるように、そこには死の影もつきまとう。喉仏が飛び出すのは成人男性の特徴でもあり、とみが去っていくことへの複雑な気持ちを代弁する道具となっている。喉『仏』と呼ばれるのは骨を焼いたときに喉の部分に残るのが仏の形をしているからだとされている。実際には軟骨なので焼けてしまい、仏の姿と錯覚されてきたのは頸椎なのだが、それでも人間の喉に仏が宿っているという考えは、死人を『仏』と呼ぶ私たちにとってなじみやすいものだろう。」ということである。この映画では、老年期にある周吉の顔や喉仏を画面いっぱいに映すことで、老いが迫ってくることを感じさせる。そして、わかりやすく表現された老いや死の存在が、周吉の孤独を際立たせるのである。

 


東京物語』は、有限の時間を生きる人間が、孤独の中で人生と折り合いをつけ、受け入れる過程を丁寧に描く作品である。制作から半世紀以上経った今でも、普遍的に存在する人間の悩みを描いているからこそ、この作品は名作たり得るのである。

 

 

 

【参考文献】

小野俊太郎(2015)「『東京物語』と日本人」、松柏社

梶原啓二(2013)「『東京物語』と小津安二郎 なぜ世界はベスト1に選んだのか」、平凡社

田中真澄編(2020)「小津安二郎東京物語』ほか」、みすず書房

竹林出(2016)「映画監督小津安二郎の軌跡 芸術家として、認識者として」、風濤社

蓮實重彦(2016)「監督 小津安二郎〔増補決定版〕」、ちくま学芸文庫

年末暇すぎワロタ

年末ということで実家に来てるんだけど、暇すぎるので日記的なブログでも書きます。

 

今年は祖母が亡くなったので喪中でして。いつもだったら親戚が一同に会して、ハチャメチャに盛大に正月を祝うのですが、今年は「祝い!めでたい!」的なノリはダメらしいので、そういう会を開かないことになっています(私自身はあんまり宗教に詳しくないんだけど、親がそんなことを言ってたので伝聞で失礼!)

 

まあ、喪中とか関係なく、ここ数年はコロナ問題があるしね。私のような東京🗼に住む若者が田舎に現れるのなんて、親戚のおじさんおばさんにとってはかなり怖いだろうし…

 

まあ、そういうわけで今年の正月は、親戚をもてなす祝い事の準備に追われることなく、グータラ過ごしているわけです。

ヤッター!!!!!!!!

こたつって最高!!!!!!!

 

 

例年なら、年末年始とはいえこたつに入る余裕はないんよね。というのも、うちは

晦日のお昼は年越しそば、

夜はすき焼き、

そして元旦にはおせちに雑煮を食べて……

という感じで結構大忙しなので……

 

特に、ちえりさんの家は、すべての雑事をオンナがやらなきゃいけないようになってるので、年末年始は常に忙しいんだ😢ちえりさんは、昔は子供だったかもしれないけど、今は流石に大きくなって家のことを手伝える年齢になったので、重要な働き手として駆り出されている感じ……

 

こういうの、ちょっと前時代的だよね。いっつもいっつも、男たちがこたつでぬくぬくしながら大宴会してるなか、私やお母さん・叔母さんは、冷たい水に手を晒してご飯を作って・お皿洗って・お酌させられて……という感じなのです。家のために働かされるオンナという図が、ホントに悲しくて泣きたくなってくる。こんな家……!こんな家!!!!!!!!

 

すまん話が逸れた!

 

 

そうそう、年末があまりにも暇だからブログを書き始めたと冒頭に述べたけれども。今年2021年の大晦日はですね、例年のように男どものどんちゃん騒ぎ(+女を格下に見下げてこき使う)イベントがない代わりに、祖母の四十九日でしたので、お坊さんがウチに来て、お経を読んでくださいました。

 

私はいわゆる法事的なものをあまり経験したことがない人間なので、朝からソワソワしていたんだけど、いざお坊さんが来て始まってみると、マジでなんてことはなかった。よくわかってないけど、法事というのはただお経を読んでくれるイベントというだけなので、スマホで「四十九日 マナー」とかいちいち調べて対策しなくても大丈夫だった。法事がよくわからん!て人も大丈夫だと思います、ほんと安心してください。

 

そういえば、その法事中に30分以上正座してたら立てなくなるやつを初めてやってしまったんだよな。お坊さんのお見送りの瞬間、立ち上がるどころか尻餅をついたまま足が動かせなくなって、2分くらいその場にいたっていう。

情けね〜〜って感じだった。夏の終わりの蝉みたいな感じでさ、無様にひっくり返って開脚したまま、なんか動けなくなったんだ。ホントに人間って足が痺れると動けなくなるもんなんだね、ビックリした。

私はお習字を結構しっかり習っていた人間なので、正直正座に関しては耐性があると思い込んでたけど、マジで全然ダメだった。

ていうか、こんなに身体に悪い座り方を生み出して伝統にすなよ、というお気持ちになってしまったな……

 

あとね、今回お経が始まる前に、お経の歌詞カード?みたいな冊子が配られたんだけど、その歌詞カードを見ながらお経を耳に入れることができて、なんとなくお経タイムを有意義なものにできた。

お経歌詞カード、みんな見たことある?私が配られたお経歌詞カードだけかもしれないんだけど、あれって漢字の読み方だけじゃなくて、その単語の音の上がり下がりとか、チーンって鳴らすタイミングとかも書いてあったりするから楽しいんだよ。

今回の読経のおかげで、結構音は覚えられた感じがする。紙には、パッと見でわかるように⤴︎や⤵︎で音が表現してあるんだけど、中国語の⤴︎や⤵︎とはまた全然音が違ってて……そこだけは難しかった。でも、意外と音を覚えちゃえばお経って読めそうじゃないか!と気づけたのはなんか良かった。まあ、覚えたからと言って寺の人になるつもりはないけども。

 

そして最後、お経を読み終わって家を出て行ったお寺のお坊さんが、有名な外車に乗って走り去っていったので、少し笑ってしまった。お寺さんって景気良いんだな〜(笑)と思って。

俺が現代の小津安二郎だったなら、この、感動的な(?)法事を済ませた後に外車で景気良く走り去っていくお坊さんの映像を絶対に挟むだろうなという感じ。(俺が現代の小津安二郎ってなんの仮定???)

 

さて、法事を済ませて年越し蕎麦を食べて、そこからはずっとこたつでグータラしてた。うちの家は、大晦日の夜は何かしらのご馳走が出るので、お昼に年越し蕎麦を出してしまう感じなんだけど、あんまり世間でそのような慣習はないらしいと知ってまた賢くなった。確かに年越し蕎麦って名前なのにだいぶフライングだなとは思ってたけど。

 

それにしても、こんなに何もやることのない状態って逆にストレスになりますね。「なんかしなきゃ!何にも浮かばないけど!」みたいな感じになり、急いでブログを書いていました。

 

 

お風呂に入ってお菓子を食べて歯を磨いてダラダラしていたらこんな時間なので、今日はこの辺で!!

みなさん!!今年一年ありがとうございました!!

また来年もよろしくお願いします〜!!!

ファスティングって……

 

この間、YouTuberが「ファスティングするよー!」というので、ほうほうどんなもんじゃい…と思って動画を見ていたのだけど……

 

えっ!?!?! 

なんかファスティングって、自分が思てたんとちゃう??!!!!?!?!!!?と衝撃を受けた。

 

実は、私は多民族国家シンガポールに暮らしていた経験があるから、

宗教的な理由で断食(ラマダン)をしている人と身近に過ごしていたことがあるんだけど……

 

 

そこで知った「断食(ラマダン)」と、健康派YouTuberの言う「ファスティング」はまた全然違うんだな…ということを動画で初めて知ったのであった…… 

 

 

 

一応、断食(ラマダン)に関するよくある勘違いを先に潰しておくと、

「断食」期間だからと言って、みんな何も口に何も含まないまま過ごすというわけではないよ〜っていう。

 

「断食」という漢字が与えるイメージが強すぎて、断食=完全に食事を断つことだと思われがちだけど、実はそうではないんよね。

さすがに何も食べずに1ヶ月も過ごすと、当たり前だけど人間は死んでしまうからね。

 

 

 

 

宗教的に行われる断食というのは、

「陽が出ている間には飲食をしない」

ということらしいんですよね。

 

イスラームのクラスメイトも、ランチタイムは何も食べずに、会話に参加してるだけだった。

(ただし、女性の場合は生理中に限りラマダンしてはいけないことになっており、たまに一緒に食べている日もあった)

 

 

そういう風に、ラマダンというのは、太陽が出ている間のご飯を我慢する代わりに、陽が出ていない時間にまとめて食事を取っているわけです。

 


もちろん、1日3食で暮らしている人間にとって、日中なにも口に含んではならないというのはなかなか辛いことだけど……何日間もずっと食事をしない、というわけではないので、死に至るレベルではない。

 


 

そうそう、シンガポールに住んでいた当時、イスラームを信仰する方からテニスを習っていたことがあるんだけど、ラマダン(断食)時のテニスレッスンでは、いつもと違って水分補給をしてはいけないということで、さすがに辛そうだな、とは思った……

やっぱね、ラマダンの辛さは空腹よりも喉の渇きらしいよ。これシンガポールの友達だいたい言ってた。人間遭難したら、食料より水の心配をしろというけれど、あれってホントなんだなあと思った。

 

とは言ってもね!!飲みたいときに水を飲めない、とかあるけど、さすがのイスラームも「栄養補給を完全に断て」という教えではないのよ。

飢えの苦しみを味わうことで、食のありがたみを感じなさいという話なわけで、栄養失調でシネというわけではない。

だから、陽が落ちてから、一日一食は最低でも食べてる。

 

 


 

でも、健康派YouTuberの言う断食って、「完全に口に何も入れないこと」っぽいんだよなぁ。少なくとも私が見たファスティング動画はそんな感じだった。驚き。

もちろん、そんな生活をラマダン並みの長さで続けていたら普通に死んでしまうので、「プチ断食」と言って、3日間限定で行ったりするみたいだけれども。それでも、1日1回は胃に何かを入れるラマダンとは、全く別物だよな〜。

 

 

 

ファスティングによって、身体中の老廃物が出ていくから健康になれるとか何とか書いてあったけど、それは本当なのかね。そちらの方面には全く詳しくないので、個人的な見解を述べるのは避けるけども。

 

 

 

ただまあ、気にしすぎかもしれないけれど、私が引っかかってしまうのは、

「断食」というワードをちょっと軽々しく用いてしまっているのかなぁ、というところなんだよね(断食は宗教ワードではなく、単純に食を断つことだ!という理解なら、この話はまた変わってくるんですけどね)

 

 

 

 


いや、、、気にしすぎだけど、、、絶対気にしすぎだけど、令和コンプライアンス人間なので、いろんなことに口出ししてしまう。

 

 

 

 


そもそも、特定の宗教を信仰する方が、苦しい思いをして経験する宗教行事のことを、面白おかしく(?)エセ科学みたいな感じで(?)インパクトあるキーワードとして用いて、キャッキャキャッキャしてる感じが、あんまり好きじゃないんだよなぁ。

 

 

 

関係ありそうでなさそうなエピソードなんだけど、

昔、中学生の私がTwitter

イスラム教徒が着てる全身を覆う服とか、人生で一度は着てみたいんだよな〜」

みたいなツイートを軽くしてしまったときに、

それを見たイスラームのクラスメイトが、宗教を馬鹿にするな!と暗に主張するツイートをしていたことがあって……

 


もちろん、その子のツイートは私に直接宛てられていたわけじゃなかったけど、タイミング的に、私の発言のせいで傷つけてしまったんだろうなーと思うような感じだったのよね。

 

 

 

それ以来、私の宗教認識が甘かったことを非常に後悔していて……

 

 

 

宗教的な慣習を、信者でもない人間が、面白おかしく取り上げてはならんよなぁ、と常に意識するようになった。

 


そんなこと、人から言われなくてもわかっておけよ!という話ではあるんだけど……

 

 

 

シンガポールのような湿気ムンムンの暑さがある国では、チェンドルで過ごすのはそんなに快適じゃないはずで……

それでもイスラームの女性は、宗教上の理由から、チェンドルを身につける以外の選択肢がない状態なわけで……

 

多少はその衣服で苦しい思いをしたりしているだろうに、それを他所の無宗教日本人が「おもしろそ!」「体験してみたい!」「人生に一度は着たい!」とか言って騒いでるのをみたら、そりゃあ良い気はしないだろうなぁと反省したのだよ。

 

 

 

 


今回のラマダン(断食)の話も、それに近いのかなぁと思っています。というのも、信者にとっては苦しみを伴う宗教的慣習を、他所者が面白おかしく取り扱ってしまっているという部分が似てるかなぁと。

 

 

 

まあ気にしすぎなのかもしれないけど(n回目)

 

 

 

 

 

 

こういう発言は多方面に気を遣いますね。

でもまあ、気が遣えないよりは遣えるほうがいいよなぁということで。

 

 

 

 


気を遣うのに疲れたので今日はこの辺で。尻切れトンボですがさようなら✋

ザイザルのジェネリック

むむむ、「定期的に文章を書くのってとっても大事!今日から毎日ブログ書くもん!!」てブログを書くたびに思っているのに、すーぐに投稿しなくなるので困っちゃうね。

わかりやすく、3日坊主を繰り返す人生……

 

 

てことで、とにかく何かを書くぞ!っていう意欲を尊重して、すぐに書きあげることができそうなネタで書いてみます。

 

 

最近、秋花粉がめちゃめちゃ飛んでますね。

ブタクサが絶好調すぎて、毎日鼻ズビズビ。

ブタクサってどんな草やねんと思って今更ながら検索したけど、こんなん近所に生えてるかどうかもわからん!っていうぐらい、雑草の極みみたいな見た目してた。

f:id:cheric:20211010233631j:image

 

 

花粉といえば春花粉が一般的なので、秋花粉はどうしても知名度が低いよね〜

秋花粉はお仲間も少ないので、あんまり辛さは分かってもらえず。ぐすん。

 

 

そういえば、小学生の頃によく「一番好きな季節は何?」みたいな話をしてた記憶があるんだけど、割と仲の良い子が

「春は花粉が辛い、んで夏と冬は気温が極端で辛いから、どう考えても秋が一番最高!」

と主張してたのを思い出す。それを聞いて、小学五年生だったワシは内心「秋にも花粉ってあるけどね〜」と思ったんだよな。思ったんだけども、当時の私は、そういうくだらない指摘を避けることで円滑にコミュニケーションを取る術を学びつつあったので、なんとか笑顔でやり過ごしたっていう。

そして、「その場を笑顔でやり過ごせた」という事実があまりに自分史のなかで誇らしすぎたからか、20歳を超えた今でも、この出来事が記憶の中にしっかり残ってる、っていうね。

 

そんなことを誇るなよ!という、どうしようもない醜さがある。

 

 

〜       〜

 

 

まあ私のコミュニケーションの話なんかはどうでもよくてね。

 

今年も、いつも通り秋花粉のお薬をもらってきました。

 

花粉にはいつもザイザルを飲んでいたんだけども、ここ数年の間にザイザルのジェネリックが出たみたいで…!ジェネリックの方が安いし、普通に気になるな〜!と思いつつ、お医者さんからは「お薬を変えると効かないこともある」なんて、脅されたりして……

 

そこそこ重度の花粉症マンことちえりちゃんは、ジェネリックが効かなかったら、日常生活を送る上であまりにも支障がありすぎる!て感じなので、もしもの場合を想定した時に、薬が効かないのは怖すぎて、なかなか乗り換えることが出来ずにいたのよね。

 

でもまあ、最近はオンライン授業ばっかりで家に篭りっぱなしだし、さすがに挑戦してもいいかもなぁ〜と思って、今年の秋からザイザルのジェネリックを飲むことにしていました。

 

 

 

が。

 

 

 

 

残念なことに、懸念していた通り、ジェネリックが効かず…!でした。

なんでやろ〜!私の変な思い込みのせいなのかな…!

 

古い薬も新しい薬も、薬効は同じはずなので、何でジェネリック効かないの!!!ありえん!!!ってブチ切れそうになったけど……

喚いたところで効き目は変わらないので諦めた。

 

とか言いつつ、本当に薬が効いていないのか、若干疑いもあったので、一応1ヶ月の間はジェネリックを使い続けてみたんだよね。

 

そしたら、1ヶ月の間、ず〜っと鼻水っぽかったっていう……ね………

 

や、それはさすがに言い過ぎだけど。

 

ザイザルという薬は、基本的に1日1錠飲めばよくて、もし効きが悪ければついかでもう1錠飲んでいいことになってるのよね。継続的に飲んでれば、かなり効き目が安定するので、私の場合はいつも1日1錠で足りてたんだけど……

ジェネリックにしてからは、1錠でちゃんと効くことが少なくて、2錠飲んでも怪しい日がかなりありました。

 

1ヶ月もそんな日が続くと、さすがに自分の体調の波の影響ではなく、ジェネリックに変えたせいなのでは……?と思ってしまうようになり。

 

残念ですが、もう一度病院に行き、昔の薬をもらうことに決めました。

 

 

 

「ザイザルのジェネリックが効いてなさそうなんで、ザイザルくださ〜い!」と先生にお伝えし、無事、効き目バッチリで安全安心のザイザルくんに逆戻りしましたとさ。

 

はあ。

 

 

もちろんと言ったらアレだけど、ザイザルを飲み始めてからはちゃんと鼻水が止まりだしたので、お〜〜効いとる効いとる!と思って感心している次第です。今日も鼻水が出てないので元気。

 

何でジェネリックだと効かない、なんてことが起こるんですか?って先生に聞いたら、

「主成分はもちろん同じだから、従来と同じかそれ以上の薬効が期待されるのだけど、細かい話をすると、薬の添加物(みたいなもの)が若干違うので、そこの違いが効き目に影響を与えることもなくはない」

みたいなことを仰っていました。ホンマかな。

 

逆プラシーボというか、「ジェネリックは効きにくい場合もある」という自分の中の思い込みが激しすぎて、効きにくくなってしまっている(と思い込んでいる)可能性もあるなと私は思っているので……

 

お医者さんは

「あなた、思い込み激しいですよ!

と言いたい気持ちをグッと堪えて、当たり障りのない返事をしてくれたのかなーとか、勘繰ってしまうね。わからんけど。

 

 

ということで、ジェネリックに挑戦したけど結局やめちゃった〜という話でした。

 

 

この話が良いと思った人は、高評価ボタンとチャンネル登録是非よろしくお願いします❗️TwitterInstagramは概要欄からよろしくお願いします❗️本日もご視聴ありがとうございました❗️☺️

手が大きい

今日洗濯物を干そうと思って洗濯機に腕を突っ込んだ時、ふと自分の手に目が行ったんよね。

 

というのも、右手で一度に洗濯物を掴む量が、びっくりするぐらい多い気がして。いや、普通の人間が一度にどのくらの洗濯物を掴むのかなんて知らないし、比べたこともないけども。

 

久しぶりに、自分の手が大きいことを思い出してびっくりしてしまった。

 

ほんとにね、手が大きいんですわ。

 

主観的にそう言ってるわけじゃなくて、ほんまにデカいんよ。

よく、お互いの手を合わせてその大きさの違いにキャッキャする〜〜みたいなイベントがあるじゃないですか。ああいうのがあると、大体私は、男性の手の大きさと引き分けになることが多い。

大半の女の子と比べると、私の手のひらのほうがだいたいデカい。

 

君は女の子だから手が小さくて可愛いね〜〜となったことは生涯で一度もない。なんなら男性の手の大きさを超えていたりして、若干の気まずさや申し訳なさ?みたいなものを感じたりすることもある。

 

な?デカイやろ?

 

まあ、デカイ手だからと言って、それで損したな……と思ったことは正直一度もない。可愛げのない手をしてるけど、それでいじめられることとかはないし……手のせいで可愛くないとか言われることもないし……

デカイ方が人生得なんじゃないかとすら思ってる。知らんけど。

 

 

例えば、私は手がデカいおかげで、ピアノを弾くうえでかなり有利だった。

 

ガチガチにピアノをやってたわけではないんだけど、一応小学生の頃に、習い事でやってたんだよね。

その習い事のときに、でかい手のおかげで、かなり早い年齢からピアノでオクターブ上を同時に弾けるようになった。ドからドまで、ちゃんと指が届くようになったの。

これはピアノを弾く上では爆アドなんだよ。演奏できる曲の幅がかなり広がるし!!

演奏発表会の時も、手が小さい人だと音が欠けてしまうような曲を、先生が提案してくれてた。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/l/lemonpanic/20170611/20170611133309.jpg

 

私より圧倒的にピアノが上手い女の子がクラスにいたけど、手が小さくてオクターブ上が弾けないからヤダ~!って言ってたのをめっちゃ覚えてる。

 

ほれ!得してる。

(まあ、私の指は、長さこそ足りていたものの、爪の付き方があまりよろしくなくて、ピアノに向いていなかったのだけど……それはまた別の話)

 

 

 

あとはどんなメリットがあったかな。うーん。

 

 

単純に荷物を持つのに有利とか。

 

 

地域の会でアメちゃんつかみ取りなんかが行われると、絶対に良い点数を残せるとかかな(苦しい)

 

 

あまりに苦しいので、手が大きい人のメリットについて調べてみたら、

 

「手が大きい女性の性格特徴まとめ!」

 

みたいなんが出てきて笑ってしまった。

恋愛コラム系記事、ホンマになんでもありやん。

 

girl.sugoren.com

 

真面目で、傷つきやすくて、お金に慎重で、内気で、神経質で、気配りができるらしいですよ!当てはまってますか?

 

私は、気配りとかはあんまりできないタイプかもしれないですね。申し訳ないけど……

 

 

まあ結局のところ、手が大きかろうが小さかろうがどうでもいいなと思います。今更変えられるものでもないし。

 

オチを想定せずに書き始めたので尻切れトンボですが、今日はこのあたりで。それでは!

 

 

小津安二郎『お茶漬の味』を観たよ

名作とは聞いていた、『お茶漬の味』を観たよ。

ちょっと途中で頭が痛くなっちまって、流し見みたいにはなってしまったけど。一応最後まで鑑賞しました。

 

 

なんとなく小津と言えば紀子三部作のイメージが強くて、これも娘を嫁に行かせる話かな?と思って見始めたけど、普通に夫婦の形を巡ってのお話だったね。

 

弱冠22歳のワシに『夫婦の気持ち』はわかるんだろうか?という感じはしたけど、色々感じることはあったので記しておく。

 

 

映画の細かい説明は松竹さんに任せたいと思います!(丸投げ)

 

www.shochiku.co.jp

 

 

 

好きか嫌いかで言うと、まあまあ好きな映画でした。

というのも、穏やかな父親と、ちょっとうるさい母親というメインの組み合わせがウチの家とかなり似てたので……

勝手に共感したりできる部分が多くて、リアルな人間関係を見た、って感じでした。

 

 

まあ『お茶漬の味』のざっくりとしたストーリーは、

田舎出身で静かな旦那さんと、都会育ちでモノをハッキリ言う奥さんの2人が、すれ違ったり、心を通わせたりする感じです。

 

激しい感情や行動が出てきたりするわけじゃないけど、人間らしい繊細な心の動きを表現できるところがさすがですよね。

「小津作品のこういう所が好き!」が詰まってました。リアルな「コミュニケーション」の表現がうますぎ。

 

 

 

 

ホントにね、都会人と田舎人の対比要素さえ抜けば、ウチのお父さんとお母さんにそっくりだったので、いろいろと思うことがありました。

 

(これはウチの話でもあり、映画内の展開でもあるんだけど、)お母さんはすぐプリプリして、気に入らないことは気に入らないと感情のままに訴えるんだよね。でも、それに対してお父さんは当たり障りのない言葉を返すので、お母さんはさらに「なんで真面目に取り合ってくれないの!?」って怒りが増して、ヒートアップしていっちゃう。お父さんとしては、生産的な会話がしたいので、落ち着いて、時間をとってきちんと話そうとするのだけど、そういうのを「煮え切らない態度」と受けとってしまうお母さんは、とにかくお父さんの言動が気に入らなくて、おもいっきりブチ切れたのち、会話を放棄して、その場を去ったりする……

 

こういうやり取りって、全国あるあるなんですかね?

あまりに見覚えがありすぎてグサグサ刺さりました。

 

これ、ここ数年のウチでは頻繁に行われてるやり取りなんですよね。母が自由にブチ切れるのを、困った顔して見てる父……(そこに、黙って騒ぎを聞きながら、こっそり父に同情している娘のワイ……)

 

私は性格面で自分の父に似てると良く言われるんだけど、こういう夫婦のすれ違いを観たときに、お父さん側にめちゃめちゃ同情しちゃうんだよな。いくら気に入らないからって、冷静な対話を諦めて、感情的に接してくる人をとても苦手としている。

 

や、感情的にブチ切れる気持ちはめちゃめちゃわかるけど、どうしてそういうことするの?そこは大人の対応しようよ(大人の対応ってなんやねんという話だけど)って思っちゃう。

 

私は映画を観ながら並行してiPhoneのメモにパパっと感想を残すようにしてるんだけど、

『お茶漬の味』の中盤で「ヒステリックババア、マジしんどい」と書き残していた。フラッシュバックというか、自分の家族のソレを思い出して嫌な気持ちになっていたっていう。

 

嫌な気持ちになるぐらい、ガチでリアルなやり取りが映画内で描かれてたってことだから、小津が流石すぎましたね。

 

自分もそれなりの年齢の「母」になったら、映画の人と同じように、感情的にブチ切れて、旦那さんを困らせるのかなあ……なんて。

それは嫌だなあ…と思いました(小並感)

 

 

 

 

ただの文句になってしまいましたね

 

 

 

兎にも角にも、映画を観てからの一番の感想は

「自分はヒステリックババアになりたくねえ」

でした、っていう……

 

いや、そんなんでいいの……?

 

 

佐分利さんの「夫婦はこのお茶漬の味なんだ」っていう名言とか、そういうことに関して深い感想を書くべきなんだろうけど、そっちは自分が夫婦になってから考えたいですね……

 

というのも、最後に奥さんがだんだんと旦那さんに歩み寄っていくシーンが、私はいまいちよくわからんかったんよね。奥さんがちょーっと単純すぎない?その単純さも含めて「リアルな女」って演出なのかな?

 

あんなに嫌がってたお茶漬を、急にウキウキ食べる感じが、安直やな~って思っちゃったというか……

 

ちょうど私が頭痛に襲われてたせいで、ストーリーに没入で来てなかった説もあるんだけど、あの軽い感じが腑に落ちませんでしたね。

最終的にベタ惚れになっていくあの感じ、あまりにも単純すぎない?そこまで歩み寄るきっかけとかあったかなあ…?あんなに簡単に、相手のことを好きになれるかな?

 

それとも、夫婦のいざこざってそんなもんなのかな。ぬるっと和解する感じが、逆にリアルなのかな。もしかして和解というよりは何もかも諦めたのかなあ。

うーん。

わからないけどそんな気もする。

 

 

ということで、夫婦の気持ちに寄り添えたのか不安だけど私の感想的なものでした。

 

評論はやっぱり好きな作品じゃないと難しいですね。とてもじゃないけど書けない。

 

小津作品にハマりかけてはいるものの、『麦秋』や『東京物語』のような、夫婦というよりは家族全体が変わっていくようなものがやっぱり好みなので、今回の映画はのめり込むかんじではなかったかな。でも、夫婦の心の動きを繊細に描き出す感じはすごいなと思った。

 

 

 

ということで、まだまだ小津映画開拓したいと思います!

 

今日のところはここらへんで!!

ばいばいー!

 

ファイザー2回目の副反応が苦しかったからブログを書いたよ

こんちゃろっす~

そこそこ若いはずのちえりちゃんです。

 

 

ワクチン接種の良し悪しは置いといて、ワクチン2回目の副反応がそこそこしんどかったので感想を残しておこうかと思います。

 

というか、これを書いている今も37度後半の微熱&全身がうっすら痛いんだけど、幸いにも体調?気力?はバッチリですし、記憶が新しいうちに書きますね。

 

 

そもそも、どこで、どんなワクチンを接種したん?という話なんだけど、

私はが準備してくれたファイザーを接種しに行ってきました。

東京都の中でも接種準備が早いほうみたいなので、区に大感謝。

 

私の大学でも、学生全員にモデルナを打てるように準備してくれてはいたんだけど、有効率とか副反応の度合いとか諸々考えて、どうせ時期も変わらないなら…と区のファイザーを受けることにしました。

 

まあモデルナもファイザーも、デルタ株にどんだけ効くかわからないし、どちらが優れているということもないのかもしれないけど・・・

 

 

 

 

 

【接種1回目】

 

私がファイザーの1回目を受けたのは7月頭ごろ。そのときは、「接種部位の痛み」のみで、体調が悪くなるようなことは一切なかったかな。

 

ただし、接種から数時間経つとジワジワ左腕が痛いような気がしてきて、翌日朝起きたときには完全に痛くなってた。痛い。痛かったです。

 

と言っても、筋トレやりすぎた日の翌日かな?ってぐらいの痛みで、私にとっては、まったく我慢できない痛さというわけではなかった。

 

まあ、痛みの程度を説明するのは難しいけど……

私の場合は、その日の寝る姿勢が変わっちゃう程度には痛かったみたい。

 

私はいつも、赤ちゃんみたいに、バンザーイ!のポーズで寝てるタイプの人間なんだけど、

赤ちゃんの寝汗、どうすれば風邪をひかせずに済む? 上手な寝汗対策|ベネッセ教育情報サイト

 

ワクチン接種した翌日だけは、お利口に腕をおろした状態で起床したんだよね。

無意識に肩の動きを減らしてるぐらいには痛い。

 

 

そんで、接種から数日間は、とにかく腕をあげる動きをすると痛かったかな。コップを取るときとか、肩をちょっとでも動かすような動きは避けたくなる感じ。

とは言っても、肩に力が入る動きさえなければ、痛みもほとんどないので……本当にいつも通り生活していました。

 

 

日中はパソコンをカタカタしたりスマホをいじったりで、特に生活に支障はなかった。

 

そんな腕の痛みも、3日も経てばすっかりなくなって!

私はあっという間に元気になりました。

 

 

身の周りのお友達は、発熱したり、寝こんだりしてたという話を聞いてたもんだから、私としてはかなりビビってたんだけど……そんなにつらくなくて良かった。

 

なんとなく自分の観測範囲では、ファイザーよりモデルナの人の方がしんどそうだった印象ですね。私は珍しくファイザーだから、人よりも症状が軽いのかな?と思ったり思わなかったりしますが…

何はともあれ、無事に接種1回目を済ませることができて安心した。

 

 

 

 

 

 

【接種2回目】 

 

そう、1回目が楽勝だったために、舐めに舐めきって挑んだファイザー2回目・・・

 

これが思ってたよりしんどくてつらかったんじゃ……😢

想像よりしんどかったために、注意喚起的な意味合いでこのブログを書くことを決意したぐらいにはしんどかった。

 

 

私が2回目を受けたのは、7月下旬で、前回接種から3週間あけてます。

 

接種2回目も、1回目と同じようにプスッと打ってもらって、特に痛みもなく、普通に帰宅することに成功。

 

家に着いてからも、特に痛みや発熱などは見られず、こまめに水を飲むようにするなどして体調に気を遣って過ごしてた。

 

 

「ワクチン2回目はしんどいらしいよ〜?」と風の噂で聞いていたので、私も高熱が出てしんどくなるのかな…と思ってソワソワしてたんだけど、その晩は特に何も起こらずでした。

拍子抜けするぐらいいつも通りで、驚くほどぐっすり眠れました。

 

次の日の朝に起きてみても、まったくと言っていいぐらい痛みや熱はなかった

なんなら余裕で腕上げて起床してて、さすがに笑ってしまった。

 

 

1回目接種のときは接種部位の痛みがかなりあって、腕を上げるのが困難だったんだけど、2回目はそういう痛みすらなかったね。腕、上げたい放題。

しかも、熱も測ってみたんだけど、36度台と至って普通の値で、全然熱らしい熱は出てない。

 

だから

「なーんだ、2回目の方が副反応がつらいとか言われてるけど、ぜんぜんそんなことないじゃーん!

と思ってしまいました。

 

また風の噂で「若ければ若いほど副反応の症状が出やすいらしい…」と聞いていたため、副反応が出ていない自分の体年齢は、もしかすると超恐ろしい値なのかもしれない……?健康生活にシフトしていかなきゃ…?

と一瞬思いましたが、まあ普通に、副反応が軽いことを喜んでいました。

 

 

そして、その日は午後に企業面接を入れていたんですが、この調子なら副反応もなさそうだし、大丈夫そうだな~と思って、

普通にスーツを着て、お化粧して、企業面接に臨む気マンマンだった。

 

 

が。

 

 

 

ちょっとずつ体調が悪くなってきて……

合計時間で言うと接種から17時間後ぐらいですね……

 

体が明らかに熱っぽくなってきて、目の奥が勝手に潤むようになってた。

あ〜、これが副反応か……って流石にわかるぐらいの倦怠感に襲われる。

 

それでも、ビビりながら熱を計ってみると、

37度台後半

ぐらいだったので、あれ?しんどさの割に、思ったより熱は高くないのか……と拍子抜けしてしまった。

熱があるとはいえ、これぐらいなら雑事をこなすぐらいの余裕はあるか…みたいな微妙な熱ですね。

 

 

ただ、企業面接はちょっとさすがに無理かもしれないな……と思うくらいのだるさに襲われ始めてた。

 

(運が悪いことに、その日はコンサル職の面接だったから、頭が回らない状態だと、非常にまずい状況だった。ほんとに最悪。)

 

とはいえ、面接当日にドタキャンはダメだ……と思って、とりあえず解熱剤を飲んで、面接を強行突破することにした。

 

んで、急いで解熱剤を飲んだんだけど、驚くほど熱が下がらなかった

いや、飲まないよりはマシだったのかもしれないけど、飲む前も・そして飲んだ後も、

変わらず38度となかなかの高熱だった。

 

薬が効いてなかったのか、薬が効いてたから38度で済んでたのか……真相はわからんが、兎にも角にも、解熱剤で楽になるってわけではなかった。

 

薬の効き目があってなお38度をキープしてたんなら、2回目ワクチンのポテンシャルが高すぎてビビり倒してしまう。

 

 

ほんで恐ろしいことに、面接を受ける時間になっても熱が下がらなくて、体温38度超えのまま面接に突入した

当たり前ながら、面接中にどんどん体の熱さは酷くなっていって、画面を見るのもちょっと辛くなっていって……

そのうち、全身がだるいというか、力が入らなくなってしまった。面接中だけど、椅子に全体重をかけてグデングデンしながら、面接にあるまじき姿勢で画面を睨みつけることしかできなかった。

 

面接官から、面接終わります!の声がかかった途端に、速攻でミーティングルームを退出して、スーツをすべて脱ぎ捨てて、

あ〜これはあかんやつや、もうあかん、ホンマにあかん………と思いながら、ベッドに倒れ込みました

 

 

マジで面接どころじゃない。椅子に座るのもしんどいぐらいなのに、なんで私は面接受けてんだ。

 

 

その時は、だるいというのかなんというのか、本当に、体に力が入らなくてですね……

トイレにも行きたくないぐらい、身体がやられていました。

 

そのうち、関節痛みたいなものも出てきて、マジで何もできなかった。すべてのやる気を失って、寝転びながらTwitterを眺めるぐらいしかできんかった。

Twitterをながめることしかできん、てのは、割とあるあるな症状みたいですね……

 

 

ベッドに寝転びながら「せっかく時間もあるしブログでも書くか~」って一瞬思ったんだけど、さすがに文章を拵えるほどの元気はなかったんだ…

 

 

症状はインフルにかかった時を思い出すような感じだったかなあ。そこそこの熱と、全身の痛み・だるさがある。

 

そもそも、こういう年齢になってから熱を出すことが滅多になかったため、熱にかなりやられてしまいました。

 

そうして、熱と戦いながら身体を休めてるうちに、あっという間に夕食の時間に……

接種から約24時間経ったぐらいですね。

 

 

もうね、いくらお腹が空いているとはいっても、キッチンに向かって、何かを作ったりするのはさすがに厳しいな…と、思ってしまうほどの体調だった。全身がとにかくだるい

 

 

「家に乳飲み子がいて、何もかも自分が世話を見なければ子供が死んでしまう……」みたいな状況だったとしたら、全ての気力を振り絞って、頑張って立ち上がっていたかもしれないけど、あいにく私には面倒を見るような子供もいなかったため、夕食は諦めて、ベッドに留まり続けることを選択したよという感じ。こういう倦怠感………マジでどうしようもなく身体が動かなかった……

 

 

そんなとき、夕食をスキップして虚しくTwitterを眺めていたら、

私の体調を気遣ってくれた弟が、なんとご飯を作って出してくれた…

優しい……

食べている間も、なんか力が入らなくて、椅子にちゃんと座れないなあ…と思っていたことだけは覚えてる。正直あんまり記憶はないけど。

 

 

弟が作ってくれたごはんを食べた後、ダイニングから自室に帰るのも億劫になり、リビングの大きなソファでぐでんぐでんになってた

とにかく全身に力が入らなかったので、ホントに溶けた人間って感じだった。

あれは熱々のホットケーキにのせられたバターの擬人化だった。バター系コスプレイヤーに俺はなる。

 

f:id:cheric:20210819004228j:image

 

 

 

そんな体調だったせいで、体力的にYouTubeTwitterぐらいしか楽しめなかった。(眠気はないけど、体に力を入れて動くことが難しいときにあんなに最適なんですね…)

 

(たまたまTwitterで、「金持ちの偽善とノブレスオブリージュ」について真剣なリプを送ってくれている友達がいたけれど、そういう大切な話を真面目に考えて返信する元気はさすがにない……ごめん後で返信させて……って感じだった。)

 

 

そのうちにぐんぐん熱は上がっていって、39度ぐらいになってしまった。そんな熱が出たのっていつぶりだろ……

 

その間、2回も解熱剤を飲んだのに、ホントに効かなかった。値が38度~39度でステイ。

 

流石にしんどすぎて、ワクチンにキレてしまったな。

 

 

そのうち仕事を終えた母親が帰ってきて、たった半日でこんなに体調悪くなっちゃうの!?ってめちゃめちゃ心配された。

というのも、母親が家を出て仕事に向かったときには、私の体温は37度程度でとても元気そうだったのに、帰って来てみたら39度になってしまって、しかもリビングのソファでグデグデにのびてるもんだから……

 

 

半日でこんなに体調が変わるんですね、ちょっと怖いかも。

みなさんも、朝大丈夫だったからといって夜大丈夫とは限らないので、あんまり副反応を舐めない方がいいかもしれません。私ほど舐めてた人はそんなにいないかもしれないけど。

 

 

そんな弱ってる私に、母がバニラアイスを出してくれたのが今でも忘れられないね。

 

バニラアイス、みんなも絶対に買っておいた方がいい。バニラアイスタイムがマジで天国だった。

冷たいし、甘いし、食べると思いのほか体力が回復した感じがあってよかった。みなさんにも自信を持っておススメできる。弱った体に恐ろしいほどバニラアイスが効きます。

 

 

結局その日は熱が全然下がらなくて、常に38度はあるような感じだった。そんな状態なので、全然身体に力も入らないし、何となく節々が痛いしで、散々でしたね。

 

その日の夜は、クーラーをつけても熱くて(暑くて?)なかなか寝付けなかったんだけど、

 

一度寝てしまえば、まったく中途覚醒することなく、元気に6時起床を果たしました!!!

 

 

起きた瞬間、あまりに身体が楽になっていたので、さすがにびっくりしてしまった。

やっぱり熱で辛いのは昨日だけだったのね~~~とルンルンで体温を計ったら、普通に37度後半だった。確かに昨日よりは元気だけど、普通に百貨店の入り口で体温チェックされたら追い返されるレベルやんと思った。

 

でも、この程度の熱なら、横にならないとしんどい〜!もうやだ~!!ってほどでもなくて、ホントに元気になった感覚がありましたね。

昨日は全身に力が入らないとか言ってたけど、もうそんなことはない。

 

ちなみにこれを書いている今(接種から約45時間経過)も37度後半ぐらいあるんだけど、ホントにいつも通り元気に過ごしてるよ!!若干、接種部位の痛みはあるんだけど、1回目の接種時ほどはない。余裕で腕上げられるし、お風呂でシャンプーもできる。

 

 

あと、私の場合はそうってだけだけど、幸運にも頭痛の症状はほとんどなかった。

弟くんは1回目の接種時に頭痛がひどすぎて、1日寝込んでたんだけど……ホントに個人差あるね。どんな副反応が起こるかわかりません。

 

 

 

兎にも角にも、今は「明日になったら平熱まで下がってくれるのかなー。下がってほしいなー。」と思いながら、すっかり体力を余らせている体で、家の中で暴れています。

 

今回副反応を経験して思ったのが、副反応を舐めすぎないで、ちゃんと対策したほうがいいかもしれん!ってことです。

 

私は実家暮らしだから、お母さんや弟が、ご飯やお風呂・その他もろもろの看病をやってくれたわけだけど、一人だと全部自分でやらなきゃいけないもんね。それって相当きついよなあ…と思って、一人暮らしの友人たちが心配になった。

私が一人で暮らしていたら、絶対に夜ご飯を食べてなかったと思うし、アイスもポカリも準備してなかっただろうし、ただただしんどい気持ちでベッドにこもってたんやろなあと思う。まともに栄養とってないせいで、熱にも打ち勝てなかったかも。

 

 

 

 

ということで、みなさんも副反応を舐めすぎないでくださいね……!いや、こんなに舐めてたのは私だけなんだろうけど……!

 

 

1回目の接種でピンピンしてたから~と思って2回目を舐めていたら、散々な目に遭ったマンなので、みなさんは同じ轍を踏むことのないように!

 

 

それでは。