ちえりちゃんのラビリンス

浪人失敗世間知らずマンの書き殴り

私は大体こんな性質を持つ人間ですというやつ

他人による私の分析を元に、私が自己分析をしたものです。自分のためのメモ書き的な。ES作りや面接に役立てます。ご意見お寄せくださったみなさん、ありがとうございました!

 

 

 

  • 真面目・責任感がある・誠実・礼儀正しい・丁寧である

これはホントもう頻出の、私を表す単語たち。一部衝突しそうな部分もあるけど大体似てるやろ!ってことで全部一緒くたにしてしまった。

親に聞いたときに真っ先に言われたのもこのあたり。

自他共に認める真面目さ。非常に責任感が強く、曲がったことが嫌い。スポ根漫画のキャラクター説明欄みたいだな。

真面目さにもいろんな種類があるとは思うけど、よく言われるのはとにかく生き方が真面目だとか、そういうこと。例えば、出された宿題は寝不足になったとしても期限までに終わらせるし、テストがあると聞けば事前にしっかり準備して上位に入れるレベルまでは勉強する。酒を飲んで馬鹿騒ぎするのは嫌いだし、タバコも絶対にやらない。あんまり人の悪口を言うのも得意じゃないので、いわゆるスクールカースト頂点勢とは反りが合わないことが多い(あんた、Twitterでいつも人の悪口言ってるやん!と思ったそこのあなた!!その辺については後で話そうと思っているよ)というかこれらの例えって、私が何を正しいと思って生きているのかがバレバレで恥ずかしいな。

とにかく、誰に対しても誠実でありたいと強く思いながら生きてる。いわゆる正しい生き方(正しいって何ですか?って言われると痛い)をしているタイプの人間で、そのことに誇りすら感じてる。誰かに強制されているわけでもなんでもなく、自らが望んでそうしているので、親でさえもよく私のことを気味悪がっている。ちゃんと飲み会に顔を出せ(遊べ)と親に言われることもある。何でこんな人間になったのかは正直自分でもよくわかっていないので、これからしっかり考えていきたいと思ってる。たぶん。理由がわかる日が来るといいね。

 

こういう「堅物」的な性質が強すぎると、多くの人にとってはつまらんヤツになりがちなので、付き合いの範囲は割と狭い。狭いんだけど、似たような人が見つかるとめちゃめちゃ深く付き合うようになる。快・不快のラインがお互いに近いと仲良くなれますよね。あとはたまに信者みたいな人が現れる。他人から慕ってもらえるのはハチャメチャに嬉しい。頻繁にリーダー的役割に就くので私の存在を知っているという人はそこそこいたりする。そういう、あんまり深く関わりがないような人であっても、芯の通った生き方をしている人!というイメージを持ってもらえることが多くて、周囲の私に対する信頼度が常に高めなので、それだけで生きててよかった~!みたいな気持ちになる。人から褒められたがり。真面目に生きると他人から信頼されるので肯定感が爆上がりになります。

 

ただまあ、こういう性質のせいで苦しんでることも多いよね、という意見を身近な友人たちから複数いただいており…

 

私のような人間は、常に責任ある行動やレベルの高いアウトプットを目指してしまっている?というか、なんだかとにかく全力で、自分にも人にも要求するレベルが高くなってしまいがちなんよね。無意識のうちに、結構しんどいことを他人にも要求しているので、他人が自分の期待に応えてくれなかったとき、勝手にイライラしがち。らしい。自覚なしだった。

そもそも私は「勝手に」イライラしているという感覚がなかったので、結構ビックリした。ちょっと分かりづらいけどどういうことかと言うと、たとえば私が宿題を出したのにそれをぜんぜんやってこなかった奴がいるとするじゃん。そしたら、私はその宿題をやってこなかった奴のことを見限るというか、なんて不誠実な奴なんだ…とそいつのことを下に見るし、よっぽどの理由がない限りは0:100で相手が悪いと思うし、自分の怒りは正当だ!とまで思うけど、友達が言うには、それはもうありえないほどに傲慢な行為であるという、そういうことらしいです。うーん。確かに……となった。自分の尺度でしか物事を見ることができていないというか。頭が硬くて良くない。

まあ宿題やってこないやつが良いってことはないと思うけど。私も反省して精進します。

 

そうそう、こういう性格だと色んな場面でリーダーを務めがちなんだけど、過去の様々なグループワークの経験から「他人はだいたい不誠実なもんだ」みたいな思い込みがあるので、信じられない相手には何も任せないで、全部自分でやっちゃおうとすることがある。自分でやるほうが確実だから……と思って全部背負い込むんだけど、普通にキャパを超えそうになり、「なんで私だけこんなに苦労しなきゃいけないの!」って余計に他人を恨みがち。自分がやれば10のアウトプットが生み出せるかもしれないけど、他人に任せた8のアウトプットでも許容していくという態度が必要になってくる。いや、許容するというのは本当に傲慢で……(無限ループ)

将来的には人の上に立って活躍していきたいと思ってるので、その辺はホントどうにかしたい。人のマネジメントに関する能力を高めるべき。

 

あとは、何というか……人付き合いにおいて常に誠実であろうとしちゃうんだけど、それで苦しむことが結構あるかも。嫌いな人が現れたときに、嫌いだからと言ってひどい態度を取れない、みたいな……

私のそういう態度のせいで、コミュニケーションがあまりうまくない人との会話にストレスがたまりまくることが結構ある。コミュニケーションがあんまりうまくないっていうと失礼だけど。

なんていうんだろうな、8〜9割ぐらいの人が「これは不快だ」って思うラインが存在してるとして、たまーに、たまーになんだけど、そういうラインを全然察することができずにズカズカ侵入してくるタイプの人っているじゃないですか。そういう無遠慮な人に対して、多くの人は強気に出ているみたいだけど、私はそういうのが得意じゃないというか……

人に対して強い言葉をぶつけるのがあまり得意じゃないので何も強い態度を取らないでいるうちに、無遠慮な人から一方的に私の庭を踏み荒らされがち。相手は踏み荒らしたと全く思ってないところがタチ悪いし、こっちは泣き寝入り、みたいな。とにかくこういうコミュニケーションが人生であまりに多すぎる。これはどう直したらいいのかわからないよ……

 

なんか弱気になってしまった、強く生きていきたい。

 

 

 

 

 

 

  • 向上心が強い・継続的な努力ができる


そうらしい。お友達に言われて、え!私ってそうなのか!?と思った。本能的にそういうところがある、とまで友達に見破られていた。その通りかもしれん。今のところ、無理して向上心を持ち続けてるとかはなく、指摘されるまで無意識だった。確かに人生を振り返ってみると、向上心があると言われてもおかしくない経歴かなという感じはある。一応母にも「向上心あるよね」と言われた。

最近は向上心に実力が伴わなくなってきているので、これを書くのは恥ずかしいのだけど。(一浪東大落ち慶應!!!)


自分の中の向上心らしきモノについては思うところがいろいろある。確かに自分のこれまでの短い人生を振り返ってみると、ご指摘の通り、何かの集団に属すときは自らハードモードに身を置くような生き方をしてきたような気がする。かなり無意識だけども。


これは精神年齢キッズやん!とも捉えられるのであんまりいいことでもないんですけど、私はまだ自分の可能性を信じてるようなところがあるから上を目指し続けてるんだと思うんですよね。

いや、無意識なので後付けですけど。

成長するうちにいろんな壁にぶつかって、若者特有の全能感を失っていくぜ!というのはよくある話じゃないですか。自分の限界を認めたあたりから大人になれるんだよ〜みたいな。(そういう物語が結構好きだったりはします)

私も流石に20年以上は生きてるし、それまでの間、壁にぶつかった経験がゼロというわけではないんですけど(屈辱の一浪東大落ち慶應!!!)、壁にぶつかってもなお、私には謎のパワーがみなぎっているというか。2回も大学受験に失敗しておいてすごい自信だな〜といつも親に言われちゃうんだけど、自分はすごいヤツかもしれんぞと自分で強く思ってるのよ。いや、確かに数学は苦手だし、古文も得点がイマイチだったし、テストの点数で勝てないクラスメイトだっていくらでもいたよ!いたけど、でもそれだけが全てじゃないじゃん!まだ自分は社会に求められてる人間だなと確信してるし、まだ何もかもがへし折られるような自分の限界点みたいなものを見つけられてないんだよね。

わ〜!!!未熟者だ!!!社会の荒波に揉まれろ!!!

 

とにかく、上を目指し続けられるのはその辺の理由があるのかもしれない。まだ全能感に満ち溢れた20代だという意識が強すぎて、いつまでも上を目指してしまう、みたいな。知らんけど。

 

いや〜〜それっぽいことを言ってみたけど、そんなにちゃんとした理由があって向上心が高くなったわけではない気もしてるんだよね。

というのも、人生において自分が「上」にいるのは当たり前のことだったから、何も疑わずそこに居続けるための生き方を今もしてるんじゃないかと思ったり、ね。

わ、ウザいね。

これはもはや向上心ではないしポジショニングというかマウンティングというか非常にアレすぎる話になってくる。

このへんの話は本当に最近思ったことなので、まだあまり磨き作業に入れてない。もうちょっと熟成させたい。

 

とりあえず言いたいことが伝わればいいなと思って現時点で感じてることを書くんだけど、

そもそも「向上心があった」から上にいたわけではなくて、人生の長い期間何もしなくてもたまたま「上」にいることができただけの人間なんだよな……その偶然性に私自身はずっと生かされてて「どんな状況であっても自分は上にいるべき人間なんだ!」という思い込みが強いんじゃないかと……

 

素直に書いてると自慢っぽい自分語りになってて非常に良くないなと今思っているんだけど、それはいったん置いといて……

 

私の感覚では、自分が努力をせずとも集団の「上」にいられた時間がなんと15年以上もあった。勉強とかスポーツとか音楽とかいろいろできたので、そういうポジションにいることが多かったような感じがある。

で、さすがにそれだけ自分に有利な状況が長く続いちゃうと、どんな場であっても自分は上にいることが当たり前!みたいな傲慢な感覚になっちゃったんじゃないかな。ライフステージが上がっていくにつれて周囲のレベルも高くなっていって、いつまでも自分が「上」でいられるわけではなくなったんだけど、そこで「下」になってしまったとしても、自分は「上」にいるべき人間なんだ〜(傲慢の極み)と無意識に思ってしまっていて、なんの疑問も恐れもなく、自信を持って上を目指せるんじゃないかと。そんな気がしている。通じたかな。もうちょっと簡潔にまとめられるように自分の中で練っておきますね。

とにかく、大学に2回も落ちたというのはまさに向上心だけが先行してしまって自分の実力が見えていなかったということを示すのにピッタリのエピソードでして……いやぁホント恥ずかしいな。

 

でもまあ、上に行きたいというよりは下になりたくないという屈折した向上心かもしれないけど、結果的にそれでもイイよねという場面は多いので、とりあえず今はこのままでいきたいと思います。頑張って生きるのは嫌いじゃないし、むしろ、努力して死の間際まで自分を高め続けたいという気持ちは強いので・・・!ん…!?あれ…!?これが向上心!?

 

 

 

  • 合理的である

や!これは!ホントに!「実はそうなのよ」レベルの話なんだけど、そうなのよ!!!!!

自分は合理的か・非合理的かなんてことをわざわざ考えたことはなかったんだけど、あれもこれも考えているうちに「これって実は合理性を求めすぎた結果なのでは?」と思うことが最近増えている。

合理的という言葉に含まれる範囲が広いので、どういう性質を「合理的」だと言うべきかの見極めがなかなか難しくて…!

その範囲について深く考えることを避けがちなのが良くない。


ささいなことで言えば、どんなゲームをしててもいわゆる"効率厨"なので、出来るだけ短いプレイ時間・小さな課金額で最大のバリューを…と思いながらプレイしている。こういう態度はオタク失格と言われがちなのであまり口に出さないようにしているけど……

そもそもスマホのアプリゲームに関していえば、電子データに課金するという行為があまり得意じゃない。できれば避けたいとすら思ってる。

……ホントにファンやらオタクやら全員から刺されそうなことを書きまくってるな……

課金が苦手な理由を考えることをずっと避けてきたが、合理的でないからというのが一番しっくりくる。ただの電子データなのに、なんだか驚くほどお金がかかるな……と思ってしまうねんな。もちろんそれだけでないのはわかるけど、さすがに実在するプロダクトと同等には扱えないな……という気持ちを持っている。高すぎ。あとガチャの仕組みが基本的にみんな卑怯。そういう卑怯さを許せない性格なんだよね。

とかいいつつたまにゲームに課金してるんだけど、まあ一応私は商学徒で、経済や経営のことを考えるのが好きで、どういう仕組みでサービスが成り立っているのか〜などなど考えたりしてしまうので、自分が好きなサービスが存続してくれますように…という気持ちを込めて、ちょっとは運営に金を落とすようにしてる。

 

今思い出したけど、そういえば自分の合理性に関するやばめのエピソードがある。

中3の、何か班で工作のようなことをさせられていた時のことなんだけど……クラス全員がハサミを持って椅子に座りながら何かをチョキチョキしていて、その紙の切れ端の床に落ちた分を担任の先生が必死にちりとりで拾って回ってたのね。私は、先生が自分の横に来た時に自分のゴミを回収してもらおうと思って、先生が近づいたタイミングでサッと落としたの。でも、そういうことをした私を目の前で見て、先生は「ありえない!」って私のことをすごく責めてきて。当時の中学3年生の私は、正直先生がありえないと思ったポイントに関して全く見当がつかなくて、ホントにどうしよう…と思ったけど、人の気分を害したことだけはわかったから、かなり申し訳なさそうに謝っておいた。「ねぇ先生なんで怒ってるかわかる?」とか聞かれなくてよかった。

怒られが発生したあと部活の時間になっても、帰りの電車に乗っても、先生が何に怒ってたのかがずっとわからなくて……流石に自分では答えが出ないな……と思ってお母さんに聞いたところ、お母さんにもありえない!と言われてしまい、自分の何もかもを疑いたくなった時期があった。小さい頃から比較的賢い感じ(当社比)の子供だったし大人ウケみたいなものを狙って行動することもできるぐらいだったのに、人の怒りの原因がわからなかった!!!!!なんてこと初めてで、とにかく発狂しそうになったな。

うーん。そのとき私の悪かったところをお母さんに説明されたけど、あんまりしっくりこなくて、いまだに何が悪かったのか良くわかっていません。や、なんとなくはわかるけどさ。あれだよね、あれに似てる、お風呂に入るタイミングでおトイレに行きたくなったからといって合理性に従って風呂場でそのすべてを放出するべきではなくて、いくらシャワーで流せるとはいえさすがにお手洗いに行って用を足しなさいみたいな。そういう話に近いですよね。うーーーん。皆さんはこの話の失礼ポイントが難なくわかっちゃうもんなんですかね。私としては、一応理解らしきものはしてるけど、未だにあんまり納得がいっていないという、そういう状態です。いまだに。アスペなんかな。不安です。

 

合理的であることはしばしば人を傷つけるので一応気をつけたいなとは思う……思うんだけど、やっぱり私は自分軸で生きてるので、人を傷つけるからと言ってあえて合理的でない行動を取ることはあんまりないんだよな……ついてこられる人だけついておいでー!状態。あまりに傲慢ですね。傲慢であることがたまたま許される生き方ばかりしてきたんだと思う。この辺のことはまた別にブログに書きたいなと思ってる〜。

 

あとね、また話が変わるけど平等にこだわりがちというのも、この合理性が関係してるんじゃないかと思ってる。自分が真面目で苦労しがちというのもあると思うけど、特定の人だけ負担が重かったり、逆に軽かったり、そういう偏りが許せないんよね。偏りは合理的じゃないじゃん。この類の感覚は小2ぐらいからずっとある。この話題に含めて良いかわからないけど、私のことを良く知る人から「(きみは)ノブレスオブリージュについて一生考えてる」と言われた。そうなのよ。ホントにそう。自分が恵まれているというのを嫌というほど自覚して、不平等な社会に耐えられなくなってきた。ここ一年ぐらいずっとそう。不平等さに耐えられなくて、ついに塾講の仕事を辞めてしまったんだ……(バイトを始めるまでは、私みたいに幼い頃からガンガン資本投入されたタイプの人間としか触れ合う機会がなくて、社会の不平等に対して鈍感だったんだけど、そうじゃない子供がたくさんいるということを肌で感じた途端になんだか辛すぎて授業にも身が入らなくなってしまったのだ)何が平等か、みたいな話も考え出すとキリがないのでこの辺にしておくんだけど、やっぱり不当な差別や不平等には強い感情を持ってしまいますね。

 

 

人生を豊かにするために、非合理というか、不条理に向き合えるようになりたいなと思っています。

 

 

 

  •  堅実・慎重

この辺は、わかるようなわからないような、なんですよね。ネットの性格診断でもいつも迷う項目で、ここをその日の気分で選んでしまうため16personalitiesがちょこちょこ変わる。

 

私って堅実か??堅実な人はそもそも滑り込み合格を狙って東大を受けないし、現役時に東大のみ受験みたいな危険なことはせずに滑り止め校も受けるだろうし、大学に入ってから合格率10%みたいな資格にわざわざ挑戦しないんじゃないだろうかという、そういう気持ちがある。その辺は結構チャレンジャーというか、勢いよく飛び込んでるようなところがあり、他人からの評価とはズレてるのかなと思ったりする。

ただ!ただ、自分には強烈に慎重な面もある。ありまくる。石橋叩きまくりだよ。例えば新しいことを始める前には事前の下調べが必須だと思ってるし、こんなこと言うのもだけど、経営学マーケティングなどを学んだわけではないのに自営業でなにかの店を新しく始める人のことを、信じられないものを見る目で見てしまう。そんなに大胆になれることを羨ましいとすら思ってしまう。あとは、行ったことのないレストランに行く際にはその評判をしっかり調べてから行くし、ホテルもクチコミをしっかり見てからじゃないと絶対予約したくない。行き当たりばったりの旅というよりはガチガチのスケジュールを組んで、自分の行きたいところをひとつも逃さず確実に回れるようにしたいタイプ。リスク回避的な傾向が強いよね〜!と言われた。ホントにそう。

そういうことばっかりしていると、「疑り深いよね」と言われることもある。疑り深いんだろうか………!?!?自分のことを疑り深いと思ったことはなかったので真剣に考えたんだけど、やっぱり慎重ということなんだと思う。いや思いたいだけかも。適当に入った店で当たればラッキー!みたいな楽しみ方をあんまりしないんだよね。どうせ出かけるなら全てを良い経験にしたい!と思うから、リサーチを怠らないというか。(かといって、最近は偶然入った店で当たりを引いたときの楽しさなんかも覚えたりして……!そういうのもいいよなと思うようになってきた……私も丸くなってきたな……)

 

エピソードというエピソードがないけど、私には思い切りのいい部分と慎重な部分が両方あると思っているので、難しいね。なにかこの辺を決定づけるライフイベントか何かに今後直面するんだろうか。

 

 

 

  • 細かいところにまで目が届く・意外に繊細・思いやりがある

自分ではあんまりそう思っていないのだけど!?!?ほんとか!?!?!繊細か!?!?!!?!

友達が「エモーショナルな部分もある」と表現してくれたのが非常によかったのでエモーショナル系を集めた。合理性を重視しすぎる冷徹人間ではないと言われているような気がして救われた。

 

「他人の気持ちがわかってる」みたいなことを言ってもらえると嬉しいですけど…!どちらかといえば人の気持ちがわからなくて誰かを傷つけてばかりのような気がするのでなんとも言えない……

細かいところにばかり目が行きがちなので、その分入ってくるノイズも多くて、いつも大変そうらしいです。そうなのかな。確かに細かいところを気にしがちですね……!

繊細かと言われるとわからないけど、嫌なことがあると引きずりがちなのはあるかも。図太く生きるしかないね。

メンタルが強いか弱いかと聞かれたら、わからんって感じ。打たれ弱い部分はあるけど、精神的にダメになることはあんまりないな。自己肯定感激高子ちゃん(過剰すぎて親に心配される)なので、自分ってダメだ〜!!!みたいな落ち込みはほとんどない。元交際相手に派手に裏切られた時は3年ぐらい発狂してたけど、しにたいしにたい…じゃなくて、早くこの世からクズ人間は去ってくれ…みたいな、そういう罵りをほぼ毎日し続けるタイプのメンタルの弱り方だった。弱ってるのか? 今でも早く逝けみたいな気持ちは全く変わらないけど、とりあえず怒りがおさまらなくて1〜2時間ウダウダして時間を無駄にする…みたいなことは最近は無くなった。ホント早く地獄に行って欲しいけど。

人と人が信頼しあうというのを、私はすごく大事にしてる節があるな。そのへんを裏切られると誰であっても許す気になれなくなる………

 

元交際相手への恨みが強すぎて脱線した。

 

思いやりはね、うーん、私自身あると思いたいけどない部分もあるよねという感じ。友達からの評価にも、ただし無能に厳しい、と添えられていた。優しいと言われるようなムーブは率先してやっていきたいという気持ちを持ってるし、困ってる人を見ると放っておけないというのは確実にある。電車でお年寄りや子供に席を譲るとかそういうことを迷ったことがないし、変な位置で声がかけにくいとかでない限り絶対譲る。あとはホスピタリティみたいなものに溢れてるなと自分で思ったことはある。LINEでちょっとした相談をされた時に、多分返信は2〜3文しか求められていないな……と直感的に感じつつも、がっつり長文で返信しないと気が済まないとか。これはたぶんありがた迷惑というやつなので気をつける必要がある……

とはいえ、さっきもあったけども、思いやりを持って接するべきだと思ってる相手には親身になるんだけど、それに値しないと感じる人間には酷く冷たく接している部分があるかもしれない。かもしれないじゃなくて「ある」。この辺の話は、実は「合理性」のところに含める必要があったのかも。本当に優しかったら、ホイホイと対応を変えないもんね。

 

じゃあどういう人間が「思いやりを持って接するに値しない」のかっていうと、誠意や努力が見られるとか見られないとか、その辺が関わってくるのかなと思う。誠意かなあ。なんて言うんだろうか。うまく言葉にできなくてもどかし〜!!!

 

最初の方で、悪口を言うのがあんまり得意じゃない(ただしよく悪口を言っている)って話があったじゃん。あれは「努力でどうにかなるかどうか」というのが私の中で大きな基準だと思ってるんだよね。詳しく言えば、頑張ればどうにかなることに対して頑張らなかったという人間には厳しくしてしまうし、逆に自分でどうにもならないことに関してはあまり他人がウダウダ言うべきじゃないと思ってる。(とか言ってるけど、悪口を言う人間に対して生まれるのはもっと生理的な嫌悪なので、こういう理由は後付けかもしれない)

例えば、私は他人の容姿に関する言及をあんまりしたくないと思ってる。(ただし容姿で評価される芸能の世界に自分から身を投じた人たちに対しては普通に評価をする)

人の見た目に対してネガティブなことを言うのがあんまり得意じゃない。容姿なんてのは生まれ持ったものだし、整形なりなんなりをしないことには、大きく変えることができない要素だと思ってるからさ……(整形を努力に含める人にとっては、ブサイクであることは罪で、ブサイクを罵ってもいいと思うのかもしれないけど……)うーん。やっぱり顔面とか身長とか、そのへんは努力でどうにかなる範囲を大きく超えている気がするので、私的にはナシかなぁ。お化粧が超上手で可愛い!とかは普通に言うけど。

そういうのもあって、外見より内面を評価するべきだと思ってしまうな。

あと、これは容姿の話と比べると努力でうんぬん…の線引きが難しいんだけど、他人の身につけてるものに関しても悪口を言うのが苦手だったりする……!「あの人変なチェックシャツ着てる!」みたいなそういうやつ……もちろん自分の中でその服装が好みかそうでないか、というのはあるんだけど、好みでなかったからと言ってそれに関する悪口を言うのはなんか違うなー、みたいなね。

この辺の感覚が、クラスカーストのトップにいる人間たちと決定的に合わない部分なんだよなあ……歩み寄りたい気持ちがゼロではないのに、こういう言動がどうしても耐えがたくて、仲良くなるのは嫌だなあと思ってしまう……

デカい主語で叩くのを許して欲しいんだけど、彼ら彼女らって割とその辺の容姿にどんどん言及しませんか…?私の周りだけ…?とりあえず20数年生きてきただけだけど、このような経験があまりにも多すぎた。

これは大学に入ってからの話なんだけど、私の英語のクラスの先生はすごく丁寧で、優しくて、熱心な先生だったのね(私と合いそうでしょ?)まあ大学の雰囲気を知ってる人ならなんとなくわかるかもしれないけど、基本的に「授業を熱心にする先生」って嫌がられる傾向にあるじゃないですか、大学生は基本的に楽に単位が取れることが大事なので、先生にちゃんと授業をされるとこちらが単位が取りにくくなってしまうっていう。しかもこれは英語の先生というところがポイントなんだけど、英語や第二外国語なんかの言語系の必修授業は先生を自由に選べないんですよね。元から決められてしまってる。基本的に大学の授業っていうのは自分の好きな授業を選択すればいいし、ゆるゆると過ごしたい人は厳しい先生の授業を選ばなければいいだけの話なんですけど……英語と第二外国語だけは別で、なんか知らんけどクラスが強制的に決められがち。だから、これらの授業の先生は当たりだハズレだと騒がれるんですけど、そういう基準で言えば、熱心な先生は「ハズレ」になっちゃうんですよね。私の英語の先生になった人はまさにそれで、英語必修のなかでもエグ単エグ単(単位を取るのがエグい、難しいということ)と騒がれ、多くのクラスメイトに悪口を言われてしまう感じの先生だったのね……まあ、私自身はそういうノリも正直無理だなと思っちゃう正義感の強さで生きてるんだけど、そういうことはあまりに日常茶飯事なのでサラッと流しながら過ごしてて。まあ、そういう風に言われちゃうよなあ…と思いながら、その悪口には加担しないように?クラスメイトと絡んでたのね。

でも、そのうちその先生のファッションセンスや化粧の仕方、話し方なんかも悪口の対象になってきて。あのババア、家庭菜園みたいな帽子かぶっててダセー!とか言いながら研究室に帰っていく先生の後ろ姿を盗撮してグループLINEに載せたり、ババアみたいな化粧ウケるわ!とかあの髪型何年前の流行りだよ!とかとにかく文句を言ったり。こういうの、本当に不愉快なんだよな……!おもしろポイントが1ミリもないし何も笑えない!でも、その時15人くらいの集団で話してて、その先生に否定的なことを言わなかったのは私ともう1人の優しくて真面目な子ぐらいだった。多くの子がそれでギャハハと笑ったり、新たなエピソードをぶち込んでは大笑いの渦を巻き起こしたり。なんかもうとにかく耐え難くて、それ以降クラスの子と喋るのをできるだけ避けるようになってしまった…………なんの話をしてたんだっけ?ああ人の容姿をディスるのが許せないみたいな話か。そう、なんかね、そういうのを否定するのはウッとなっちゃうんだよね。

 

逆に私が悪口を言っちゃうのはアレですね、怠惰が故にやるべきことをやらずに他人に迷惑をかける人とか、誠実さに欠ける人とか。基本的に0:100で善悪が分かれるんじゃないかというときにしか言わない、というか言えないんじゃないかなあ。わからないけど。言ってたらごめんね。

たとえば浮気・不倫は絶対に許さない。モラハラから逃れるために別の人のところへ行ったんだ…みたいなエピソードが出てくると多少同情するけど、法に訴えるなりなんなり徹底的に縁を切ってから次に進む、という順序が必要だと思ってる。そうはうまくいかないんだろうけどさ……

 

浮気不倫に関する意見は置いといて、とりあえず、この辺の感覚が合わない人と一緒にいることが基本的に難しい。私ばっかりが辛い思いをするし、相手からしても「良い子ぶってんじゃねーよ!」みたいな感じになる。みんなと一緒になってそれっぽい悪口を言えば盛り上がれるんだろうなってことはわかってるけど、私は絶対にそういうことは言いたくないし、そういう集団に合わせるぐらいなら1人でいる方がずっと良いって思っちゃうんだよな……多分これを読んでても「良い子ぶってんじゃねーよ!」と思う人の方が多いんじゃないかなぁという気持ちがあるけど、私は良い子になりたいというよりは、不当に人を傷つけるのはおかしいというか、なんというか、そういう気持ちなんだよな……通じるかな……ふええ……この辺の協調性のなさ?正義感の強さ?で常に親に心配されている。友達いるの?みたいに言われるけど、性質が似ている子はたまにいるよ!あんまり数が多くはないから、より大切にしようという気持ちになれるよ!いつも仲良くしてくれてる皆さん、どうもありがとうございます。

 

  • 実は協調性がある(!?!?!?!?)

俄かに信じがたい評価である。どちらかといえば協調性がない。いや、ここで重要なのは「実は」という部分だよな。これを見落としてはいけない。

さっきもあったけど、人を傷つけたくない気持ちが強すぎて、基本的に色んな人と仲良くはできない。ただ単に優しい感じの人なら多くの人に好かれて自然と求められるんだろうけど、私は我が強すぎてその辺がオワッてる。無理すれば人に合わせたりできるんだろうけど、そういう無理はしたくない。まあ端的に言えばストライクゾーンが狭い。

群れなくても不安にならない、という性質を友達が挙げてくれた。まあそれは、確かにそうなのかも。友達は、その理由が協調性があるからだと言ってくれたけどどうかなぁ。仲良い友達が全くいないわけではないから、孤独感を感じずに済んでるような部分はあるかも。ただ、それ以上に「自分が社会から必要とされてる感」みたいなものは常に強いので、そのおかげかな。こういうのは実際どうとかはどうでもよくて、自分で自分のことをそう思ってあげられるかどうかなんだけどね。

 

話を元に戻すとね、無理だというのはわかってるんだけど、一応全ての人と仲良くしたいなみたいな気持ちは捨てきれないんだよね。結局仲良くなれないからつるまないんだけど。いわゆる陽キャも嫌いなんじゃなくて、ちょっとそれは度を越してない?と思うところが嫌いなだけで……そういうモチベーションを友達は褒めてくれてるのかな?と解釈した。わかんないけど!

これに関連して少し思ったことがあるんだけど、私もは「罪を憎んで人を憎まず」なところがかなりあると思う。陽キャの容姿ディスはきついけど、でもいつも場を盛り上げてくれるところは素敵!とか。そういう態度でいろんな人と接しているところがある。「罪」の程度がひどい場合はやっぱり距離を置くけど、そうでないなら、その人の良いところに着目してできるだけ長く付き合いを続けようとするところがある。そういうところに協調性を見出してくれたのかな?どうなんだろう。

 

 

 

  • ユーモアがある

これに関しては、流石にお世辞やん!!!と思ったよ!!!自分で自分のことを「ユーモアがある」と思ったことが一度もない。自己肯定感爆高女だけど、さすがにコレに関して自信はないよ……


と思っているんだけど、まあ、嬉しいことに、この類のことはたまに言ってもらえたりする。マジで信じてないけど。

中3の卒業の時、クラスメイト全員が全員に対して用意した寄せ書きに、全然接点のなかったクラスのひょうきん者(ちびまる子ちゃんでいうハマジみたいな男の子)から「爆発的におもしろい奴!」みたいなことを書かれていて、え!なんで!!??!?と思ったことがある。「アンタ、学校ではオモロい枠の子なん?」と家族に変な顔で聞かれたのを未だに覚えてるし、なんでそいつに面白いやつと思われてたのかは未だに謎である。

うーん。一発ギャグやって!!!とかに対応できる面白さはマジで1ミリもないんだよね。そういうの浮かばないもん。クリエイティビティみたいなものは死んでるし、ノリ悪いやつ、になりがち。とはいえ人を笑わせたい気持ちは人並みにあるのよ。あくまで人並みに、だけどね!笑ってもらえたら嬉しいなと純粋に思う。お笑いはあんまり見ないし、見てもあんまり面白いなと思うことはないんだけど(イロモネアに出てたらなかなか笑わないやばい一般客だった自信がある)ちょっとした会話をちょっとでも盛り上げたい、みたいな気持ちはかなり強いかもしれない。ホスピタリティ?会話の流れで浮かんだおもろいことがあったらポンポン言っちゃうかな。会話の流れがないと厳しいけど。とはいえ、ユーモアがあると評されるほどではないと思う。本当に。あまりにも過大評価されている。

 

 

  • 金銭感覚がまとも

まともっていうか多分ケチなんだよ!!!スポイルされてないと表現してもらったが、過大評価というか、両親もケチ……もといお金の管理をしっかりするタイプの人間なので、それを見て育ったという感じですね。

親の年収は正直わからないんだけど、ふるさと納税などの額を見る限りたぶんかなりやばい(やばい)し、比較的稼いでると言える範囲の人と言ってもいいと思うんだけど、それなのにあんまりパーっとお金を使う人たちじゃないんだよね。無理のない範囲で節約して生きているし、子供たちの学費が高すぎる!!!と日々ブチギレている。そういう感じ。

親も私もあんまり浪費家みたいな人は好きじゃなく、衝動買いをしたことがほぼない。

 

あんまりエピソードがないです。恋人や家族になるのに向いている金銭感覚かもね!!!堅実です!!!(アピール)

 

 

  • 朝に強い

これを見たときちょっと笑ってしまったw 

超絶ロングスリーパーのお友達からいただきました。だいぶ朝に強い方かと思う。朝に強いというか、寝起きがめちゃくちゃいい。起こされても起きられない!と思ったことが一生のうちにほぼない。目が覚めると、覚めた途端に結構しっかりめに覚醒するので二度寝はあんまりしたことないんだよね。二度寝しようと思ったら寝つくのに30分かかる、みたいな。めちゃくちゃ疲れてる日は二度寝しちゃったりするけど、普通に暮らしてる分にはそこまで疲れたりしないかな〜

ショートスリーパーと言えるほどショートじゃないんだけど、一応毎日5時間睡眠ぐらいでも普通に勉強したり生活はしていける。みんなそんなもんかなと思ってたけど、そうでもないらしい。両親はもっと少ない睡眠時間でも元気そうにしてるので、マジかよ!と思ってる。ただこういう睡眠は身体的に負担がかかってるんだろうなあと感じるから、私は7時間睡眠ぐらいで生活したい気持ちが強い。

正直、コロナでこんな生活になるまで寝ることがここまで大事だなんて思いもしなかったんだけどね、コロナ禍でたくさん寝るようになってからは明らかに体調が良いし、記憶力とかも良くなったんだよね!!!そういう意味では有意義な時間だった、睡眠の大切さに気づけたので…!

 

 

 

 

 

 

 

よし、だいぶ色々書けたかな…!

 

いかがでしたか?(オワ)

 

また書きたいことが増えたら書き足していきますね!

あんまり文章の終わり感もないですけど、長すぎて疲れてきたのでこの辺でさようなら!!